札幌市出身の女子サッカー、INAC神戸DF三宅史織(24)は、なでしこジャパンの一員として昨年12月の東アジアE-1選手権で4大会ぶりの優勝に貢献した。3戦フル出場し、無失点と堅守でアピール。既に開催国枠で東京オリンピック(五輪)出場は決まっており、20年は代表生き残りをかけた大事な年となる。

なでしこジャパンは16年のリオデジャネイロ五輪で、まさかの予選敗退を喫した。復活をかけた昨年6月のフランスワールドカップ(W杯)は、ベスト16止まり。自国開催の20年東京五輪は、女子サッカー人気を回復するための大事な舞台となる。

三宅 (銀メダルを獲得した)前々回の五輪メンバーも少なくなっている。昔は強かったと言われるし、一時的な人気だったのは事実。もう1度、女子サッカーを広めるには、このオリンピックで優勝するしかない。6月のW杯は代表入りしながら出場することができなかった。チームに貢献するためにも、まずは代表に残ること。そのために、しっかり準備したい。

ボール奪取能力とビルドアップのセンスにたけたセンターバック。五輪前最後の公式戦となった東アジアE-1選手権は、全3試合にフル出場し無失点での優勝に導いた。同じポジションの先輩で、尊敬する同じ札幌市出身の主将、熊谷紗希(29=リヨン)が不在の中で、役目を果たした。

三宅 みんな、紗希さんの存在が大きいのを知っているし、いない中で、どれだけやれるかという大会だった。中国や韓国戦は、前から来られたときに、うまくボールを回せなかったが、バタバタした時間でも無失点で終われたのは収穫。韓国にも完全アウェーの中で勝てた。11月の南アフリカ戦後に、紗希さんから「(E-1選手権で)しっかり勝ってきてよ」と言われていたので、結果を出せて良かった。でも、やっぱり心身両面で紗希さんはすごい。いつか追いつき、追い越せるようにならないと。

代表生き残りをかけ、このオフは個人的な課題克服に時間を費やす。

三宅 2月の代表合宿までに、しっかり体を動かせるようにしておきたい。五輪のない年は春先のリーグ開幕に照準を定めるが、今年は、それでは遅い。前倒ししてコンディションを上げたい。個人的には、DFとして当たりの強さを上げたい。今は、欧米のチームも蹴って走るではなく、日本のように後ろからパスをつなぐところが増えてきた。パス回しで勝っていた日本が、これから勝っていくには、欧米の強さにも対抗できる体をつくっていかないと。日本は五輪予選なしでいきなり本番。大会に入ってから対応するのでは遅い。今から体をつくって今後、海外のチームと試合をする機会はあるので、そういうときに、イメージをわかせておきたい。

13年に17歳でなでしこジャパンにデビューしてから7年。経験を積み、気づくこともある。

三宅 14年のアルガルベ杯では、11年W杯優勝、12年ロンドン五輪銀メダルのメンバーがたくさん残っていた。その先輩たちと海外で2カ月間、一緒に過ごしたのは貴重な時間だった。オンとオフのメリハリがすごかった。オフは本当に仲良く話すし練習になったら徹底的に言い合う。そういう部分は今のチームに足りないと感じるときもある。今は今なので、単純に比較するのは良くないけど。

なでしこ全盛期のムードを知る24歳。時には厳しい姿勢で仲間と向き合いながら、2大会ぶりのメダルを引き寄せる。【永野高輔】

◆三宅史織(みやけ・しおり)1995(平7)10月13日、札幌市生まれ。札幌真栄小1年時に真栄スポーツ少年団でサッカーを始める。中学1年からJFAアカデミー福島入りし、13年7月から特別指定選手としてINAC神戸でプレー。12年U-17W杯ベスト8。13年9月のナイジェリア戦で、なでしこジャパンデビュー。14年にINAC神戸に正式加入。利き足は右。165センチ、52キロ。

◆サッカー女子日本代表と五輪 96年アトランタ大会から正式種目となり、同大会はグループリーグ敗退。00年シドニー大会は、予選を兼ねた99年世界選手権で1勝もできず出場権を逃す。04年アテネ大会ベスト8、08年北京大会4強。11年のW杯で初優勝した翌12年ロンドン大会は、決勝で米国に1-2と惜敗し銀メダル。これがなでしこジャパン初の五輪メダルとなった。16年リオデジャネイロ大会はアジア予選敗退。