ベンチの采配などに不満の態度を示し、6日から謹慎処分中だったセレッソ大阪MF乾貴士(33)への最終処分が14日、発表された。

これまでの2試合に加え、今後6試合の出場停止が決定。同時に今後1カ月間はチームの全体練習に参加できない、クラブ史上前例のない極めて重いペナルティー。いったい、乾に何があったのか-。

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ガバナンス(管理能力)が問われたクラブは今回、極めて厳しい姿勢で処分を下した。問題発生から9日の時間を要したのは、乾が起こした今回の事案が複数あったからだという。各方面への聞き取り調査を重ね、ようやく発表に至った。

問題の発端は、5日のJ1リーグ柏レイソル戦。主将MF清武が欠場中で、副主将の乾が主将マークを巻いて先発した。

0-1で迎えた後半17分に途中交代を命じられると、ベンチ前で出迎えた小菊監督の右手を払いのけ、怒りを体全体で表した。

この日のクラブ発表によると「サポーターの前で暴言を吐くなど不服な態度を示した」とある。スタッフにも制止されるスター選手の言動を、本拠地ヨドコウに詰めかけた多くの観客が目にすることになった。

事態をより深刻化させたのは、その後の言動だったという。これもクラブ発表では「試合後にチーム規律・秩序を乱す行動が確認されたため」としている。

複数の関係者によると、興奮した乾はスタッフらに暴言を吐き、それは風呂場にも及んだという。これらの言動が決定打になった。現場は収拾が付かず、クラブが本人に謹慎処分を伝えることができたのは、当日の深夜だった。

翌6日からは練習場への立ち入りも禁じられ、10日J1神戸戦と13日ルヴァン杯鹿島戦も当然、ベンチ外になった。同時に乾とクラブの面談は行われ、本人は反省の態度を示したが、多くの選手やスタッフ、職員が目にした造反に、厳罰は既に避けられない状況だった。

乾は過去にも同様の過ちがあった。

11年5月24日のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)決勝トーナメント1回戦、史上初めて同大会で実現したガンバ大阪との大阪ダービー。前半だけで交代を命じられた乾は、ハーフタイムに控室で激高。シャワー室のガラスを手でたたき割ってしまった。

当時のレビークルピ監督がこの造反に激怒し、謹慎処分こそ1週間で解除されたが、同年5月29日から6月18日までの公式戦4試合の出場禁止処分に。約1カ月に及ぶ厳罰だった。この件はクラブから公式な発表はされなかったが、今回はそれを上回るペナルティーになった。

あれから11年がたち、その間の乾はスペインなど欧州でプレーし、18年ワールドカップ(W杯)ロシア大会では2得点と活躍した。昨年8月に古巣に復帰し、今季からクラブのレジェンド、森島寛晃(現社長)の背番号8を自らの意思で引き継いだばかりだった。

競技への愛着が深く、あふれでる情熱を含め、多くの関係者は、乾のことを“永遠のサッカー小僧”と呼ぶ。今季の開幕前に、本人は「覚悟を持って挑戦し、プレーで証明していく」と誓っていた。

乾の出場停止処分が明ける最初の試合は、5月18日のルヴァン杯大分トリニータ戦になる。【横田和幸】

 

【C大阪乾の経緯】

▼4月5日 J1柏戦の途中交代で暴言

▼4月10日 クラブは6日から当面の謹慎処分を科したことを公表。練習場への立ち入りも禁止し、この日のJ1神戸戦はベンチ外に。

▼4月13日 森島社長が「規律(違反)を重く受け止めている」。この日のルヴァン杯鹿島戦もベンチ外に。

▼4月14日 最終処分発表。今後公式戦6試合の出場停止が決まり、この日から練習場への立ち入りは許可も、全体練習へは引き続き参加禁止に。

 

◆乾貴士(いぬい・たかし)1988年(昭63)6月2日、滋賀県生まれ。野洲2年時に全国高校選手権優勝。横浜を経て08年6月に当時J2のC大阪へ。11年8月にボーフムに渡り、その後はスペイン1部エイバルなどに所属し、21年8月にC大阪復帰。国際Aマッチ通算36試合6得点、J1通算67試合13得点。169センチ、63キロ。