4月に地震に見舞われた熊本チームが最終日、全国からの支援に対する感謝を示した。 競技終了後に、男子100メートルの12年ロンドン五輪代表江里口匡史(27=大阪ガス)ら選手、監督らが集まって「元気と勇気をありがとう。がんばるモン」と書かれた横断幕を掲げた。江里口は「たくさんのサポートをいただいたおかげで、僕たちはこの国体に参加することができた。その気持ちを表したかった」。選手29人、監督、コーチら16人の熊本チームは温かい支援に感謝した。

 4月14日、熊本地震が発生した。2日後には国体予選を兼ねた熊本県選手権が行われるはずだった。しかし競技会どころはなくなった。会場のうまかな・よかなスタジアムは、荷物や物資の集積場となった。

 熊本県陸協の米田光宏強化委員長(49)は「学校が休校して選手たちもボランティアにいっていた。今年前半は競技や練習はできなかった」と振り返る。ただ次々と届けられる全国からの“善意”が少しずつ状況を変えていった。

 3カ月後の7月上旬、延期された熊本県選手権が開かれた。大会の運営費は日本陸連を通じて届けられた支援金などに支えられた。

 江里口は、昨年7月に手術した左足が万全ではなかった。14年9月以降はレース出場なし。ただ成年男子がいないチーム事情もあり、代表候補になった。米田委員長から足の状態が厳しいことは承知の上で「(走れるという)気持ちを見せてくれ」と言われて、タイムトライアルに参加。短距離用のスパイクではなく、シューズで100メートルを走った。自己ベスト10秒07、かつて日本選手権4連覇の男が、11秒11だった。「代表に選ばれるようなタイムじゃない。でも熊本の試合だから無理してでも出たいと思った。熊本のために走りたかった」と江里口。岩手国体では男子100メートル予選、同400メートルリレー予選の2本を走った。

 高校総体男子200メートル優勝の斉藤勇真(九州学院高3年)は地震直後、学校のグラウンドが使えなくなった。被災した部員たちはグラウンド中央の人工芝にテントを張って寝泊まりした。八代市内に自宅がある斉藤も約2週間、車中泊を繰り返した。そんな日々を過ごした上で競技を続けた。

 岩手国体で熊本チームを統括した米田委員長は、代表に選ばれた選手たちに「このメンバーは全国に感謝の気持ちを表すためのメンバーだ。最後の1センチ、最後のコンマ0秒まで力を尽くそう」と呼びかけた。

 斉藤は少年A(高2、3)で100メートル2位に入った。100メートル決勝では、優勝した宮本大輔(京都・洛南高2年)を終盤に猛追。最後は必死の形相で胸を突き出して、ゴール後に激しく転倒。わずか0秒02の差で敗れたが、死力を尽くした。斉藤は「周りの支援がなければ、ここに立ててはいなかった。陸上ができることに感謝したい。今年の岩手国体は特別な国体になりました」と言った。

 江里口は「代表チームで岩手国体に出られて、全国の皆さんに『本当にありがとうございました』とお礼をいいたいです。これからも長い目で支えていただけるとうれしいです」と口にしていた。