東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)で大東大を4度の総合優勝に導いた青葉昌幸氏(78)は、今年6月に日大の駅伝監督に就任した。高齢を押して、異例といえる現場復帰を果たした。90年度には史上初となる「大学3大駅伝」の3冠を達成し、関東学生陸上競技連盟会長も務めた大御所。悪性リンパ腫と闘病しながら「病は気から」の精神を貫き、元気に日々、指導をしている。

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昨年2月だった。病院の定期健診で悪性リンパ腫が見つかった。血液がんの一種で、ステージは「3~4」という。青葉監督は「怖いと言えば、怖いけど、避けて通れない宿命だから」。抗がん剤治療は2カ月に1度受けている。「7~8年前」にも悪性リンパ腫が見つかり、手術していた。ずっと治療の経過は良好だったが、再び見つかった。

ただ悲愴(ひそう)感などみじんも漂わない。「病は気から」。むしろ活力はあふれる。

「がんに2人に1人がなると言われているじゃないですか。なんだよ、俺にも来たかってぐらい。負けていないと思っています。消極的でなく、前向きになる。仕事の話があれば、どんどんチャレンジしますし、それが病魔に勝つことになると思っています」

その言葉通り、77歳で現場に戻った。5月18日。母校・日大の田中英寿理事長から電話をもらった。「本部に来てほしい」と頼まれた。行くと監督として、長く駅伝で低迷する部の復活を託された。「最後に競技を通じて味わった喜びを後輩に最後に伝えることができるなら」。即決だった。

がんを患うと知る関係者からは「大丈夫か?」とも心配された。その度に、こう言い返す。「だからやるんだよ」。

日大では学生と一緒に寮生活だ。60歳も下の大学生と向き合う中で、大切にするのは「彼らのエネルギーに負けないこと」。指導は命令的な「ボス」でなく、学生と同じ目線に立つ「リーダー」であることを心掛ける。就寝前には腕立て伏せ10回、腹筋20回を、それぞれ3セット行う。それで「1日が終わったな」と実感する。学生の前で「膝は曲げちゃだめだ」と言い、自らV字腹筋の手本を示すことも。それを見た選手は「じいちゃんより年上なのに何でそんなに足がそろってるの?」と驚き、手を抜くわけにはいかなくなる。

10月の箱根駅伝予選会は18位で、正月の本大会出場はならなかった。11月の全日本大学駅伝も14位。結果を出すには、あまりに時間が足りなかったが、チームは変わりつつある。引退する4年生から「先生が来てから悪いものは悪い、良いものは良いと言える雰囲気になりました。少しずつですが、チームが明るくなりました」と伝えられたのが心に残る。「短い期間だけど、彼らの記憶に残る指導はできたかな」と語る。

最後に、ふと言った。「難しい部分もあると思うのですけど、がんと宣告されても、あまり落ち込まないことですよね。なってしまったら、宿命の対決だなと考える」。手渡された色紙に、ペンを走らせた。そして、こう記した。「人生光る汗」。【上田悠太】

◆青葉昌幸(あおば・よしゆき)1942年(昭17)6月16日、埼玉県秩父市生まれ。秩父農工高を卒業後、秩父鉄道の勤務を経て、日大に入学。日大在学時は1500メートル、3000メートル障害で日本選手権優勝。4年時には箱根1区で区間3位だった。68年に大東大の監督に25歳の若さで就任し、00年に退任。箱根駅伝4度、全日本大学駅伝7度、出雲駅伝1度の制覇をした。07~16年まで関東学生陸上競技連盟の会長職。20年に「瑞宝中綬章」を受章。

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