まさか、こんな1年になるとは…。去年のお正月に、誰が思っただろうか。新型コロナウイルスにより、東京オリンピック(五輪)は延期となり、出雲駅伝は中止。とはいえ、どんなものにも不測の事態は起こるもの。今回で97回目となる箱根駅伝もいろいろありました。連載「コロナ禍の箱根」の最終回は、各区間の厳選“事件簿”です。

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<往路編>

◆1区 それは90年大会。多摩川を越えた先で中継車、白バイがコースをそれ、側道に入った。トップの谷川(日大)も追走。後続も続いた。普通、正しい道に戻らねば失格となるが、15人全員が間違えて、みな同条件となり、順位も記録も残る。

◆2区 09年大会でダニエル(日大)が20人抜き。22位から2位まで爆走し、史上最大のごぼう抜き。永久に破られそうにない記録の1つで、今大会で言えば、関東学生連合も含めた21番目からトップに立てば並べる。ランキング2位は11年村沢(東海大)の17人。

◆3区 25年大会で「替え玉」が発生した。日大に籍のない選手が出場し4人抜き。実は、その男の職業は人力車夫。しかし、職業柄か、腕を腰に付けたまま走り、抜く時には「アラヨー」と声を張り上げてしまい、不正が発覚。なぜか、失格ではなく、記録は残る。

◆4区 96年大会で、史上初の2校棄権が4区で起こった。3連覇を狙った山梨学院のエース中村が、12キロすぎで無念。神奈川大も6キロすぎで棄権した。神奈川大は翌年から2連覇。実力あった2校がリタイアとなる、まさに「魔の96年」だった。

◆5区 昔は陸上部員以外も走った。特に目を引くのは東京文理科大(現筑波大)の井上。剣道専門ながら30年大会から4年連続で5区を走った。32年大会は見事に区間2位だった。これは3区の話になるが、54年大会でスキーが専門種目の楠(明大)が区間賞。

<復路編>

◆6区 90年大会で珍事中の珍事が発生。亜大の1年生田中は号砲後、20メートルを過ぎて左折すると逆戻りした。駅伝の命ともいえるタスキを忘れて、走っていた。付き添いの先輩の首にかけていたら、受け取りを忘れ、スタートラインに立っていた。約40秒のロスで区間14位。

◆7区 沿道の応援も箱根の名物だが、その代表格が「フリーザ様」御一行。ドラゴンボールの人気キャラに扮(ふん)し、例年、二宮付近に現れ、流行のダンスをする。ネットでバズり、いつしか人気者に。何とか映さないようにする日テレカメラマンとの“攻防”もあるとか。

◆8区 ハプニングは思わぬところにも。80年大会。中大は補欠から7区に起用した選手を、レース前に、誤って8区と大会側に届けてしまった。悔やみきれない届け出ミスにより、7区と8区の区間記録はもちろん総合順位も無効に。

◆9区 12年大会。神奈川大9区鈴木は脱水症状に。繰り上げスタートが迫る中、中継所10メートル手前で転倒。気力を絞り、何とかタスキを渡すと、同時に号砲は鳴った。繰り上げ時間は2秒ほど過ぎていたようにも見えたが、そこは温かな対応。歴史的ハラハラのリレーだった。

◆10区 11年大会。大混戦のシード争いの中、8位を走っていた国学院大の寺田はゴールまで120メートル地点で、誤って中継車を追ってしまい、コースアウト。戻った時には11位に。そこから猛ダッシュで、シード権ギリギリの10位を死守。間違えた場所は「寺田交差点」と呼ばれる。