ワコール女子陸上競技部は22日、所属の福士加代子(39)が、来年1月16日の第40回全国都道府県対抗女子駅伝、同30日の大阪ハーフマラソンの2レースを最後に、第一線を退くと発表した。

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陸上担当になったのは16年の秋だった。五輪4大会に出場。その段違いな強さでライバルを圧倒する福士加代子(39=ワコール)の姿を生で目にしたことはない。ただ、心の芯の強さは何度も垣間見た。

19年1月27日。大阪国際女子マラソンで福士は他選手と接触し、12・6キロ付近で転倒した。両膝、右前頭部から流血。35キロで無念の途中棄権となった。

それから40日後。福士は名古屋ウィメンズマラソンの有力選手会見の場に座っていた。「でんぐり返し」の練習をしてきたと大笑いして、言葉を続けた。

「転がってから立つイメージをしてきました。名古屋も転ぶかもしれないけど、立ち上がる練習をしてきた」。

アクシデントも、前向きにエネルギーに変えられていた。会見から2日後のレースは2時間24分9秒。日本人トップこそならなかったが、全体8位の日本人2位。東京五輪の代表選考会「マラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)」の出場権をつかみ取った。当時36歳。短期間で2度もマラソンのピークを作るのは並大抵ではない。快走は難しいはずだった。そんな常識は福士に当てはまらなかった。

20年5月3日。東京五輪選考会だった日本選手権女子1万メートル。900メートル付近で最後尾となり、独走のビリだった。レジェンドは白い歯を見せながら、目には涙をためていた。ゆっくりと走り続けた。マラソンに続き、1万メートルでの五輪出場の可能性も消滅。スタジアムは最強の敗者への万雷の拍手。この上ない花道のような雰囲気に包まれていた。本人も「もうええやろ」と余韻に浸っていた。

レース後、競技場の外で福士に出会った。今の胸中などをあらためて語ってくれた。別れ際に、手を上げながら、あのよく響く大声で言われた。

「引退って書かないでくださいね~」

その言葉は、まだ走れるとの意欲、闘争心が宿っていた。不完全燃焼の結末を、本能が嫌がっているようにも見えた。やはりと言うべきか。この日本選手権を最後とはしなかった。

不安を感じていても、それは表に出さないように振る舞っていた。自筆とみられる今回の報告では「最後に第一線を退く」としている。「引退」という言葉を使わないのも、福士らしく思えた。折れない心、美学を最後まで貫いたようにも感じた。【前陸上担当・上田悠太】