平昌パラリンピック真っ最中だ。現地には行ってないが、メディアや行っている方たちからの情報をもらい、現状を知ることができている。

 選手の活躍に勇気をもらい、努力の成果が結果として現れ、感動する様は、オリンピックと何も変わらない。そんな印象を持つのではないか。


 私は彼らのことで伝えたいことがある。

 パラリンピアンのパーソナリティーだ。


平昌パラリンピック開会式で行進する日本選手団
平昌パラリンピック開会式で行進する日本選手団

 よく彼らとお仕事をさせてもらうが、大変魅力的な方が多い。

 まず、スポーツとの出会い方がさまざまだ。そしてたくさんの想いを持って、競技と向き合っている。

 先天性、後天性と障害を持ったのは、選手それぞれだが、スポーツと出会ってよかったと話される方が多い。


 「パラリンピアンは、競技を始めた理由がある」

 どの方が話されていたかは、定かではないが、その言葉が心に残っている。

 彼らと話すと、将来の日本のスポーツ文化定着へのヒントが隠されている気がする。


 ボブスレーは18歳からしか始めてはいけないという規定があるなど、オリンピック競技の中には、早くから始められない競技もある。だが、私がやっていた競泳などは、小さいころから競技を始めて少しずつアスリートとして成長していく。

 練習を小さいうちからはじめて、試合に出場して結果が出てくる。そうしているうちに、アスリートとしての自覚が芽生えていく。そんなイメージだ。日本においては。


 それと比べて、パラリンピアンは、その競技との「出会い」がさまざまだ。

 たとえば、パラ陸上でアテネ、ロンドンパラリンピック出場の花岡伸和さん。何度もご一緒させて頂いているが、いつも話が面白い。面白いというのは、ご自身の軌跡の話が深いということ。勉強になることが本当に多い。まさに、“Be impressive”


花岡伸和さん
花岡伸和さん

 花岡さんは17歳の時にバイク事故で脊髄を損傷し、車いす生活になった。

 事故をして、初めて自分でできたことは「ごはんを自分で食べられたこと」。寝たきりだったため、自分で食事ができたことに感動したという。

 「マイナスをゼロにする作業」

 「そこから、できることの積み重ねが始まった」


 そんなリハビリをする中、通っていた病院で、ある写真を見つけた。車いすマラソンの写真だった。子供のころから球技も泳ぎもだめだったが、走るのは大好きだった。「腕を使って走ってパラリンピックに行きたい!」。こう思ったのが競技を始めるきっかけだという。

 できることを1つ1つ増やしていった結果が、最高の笑顔を生んだパラリンピックだった。


 1つ1つ、積み重ねること。

 こんな当たり前のことを花岡さんから改めて気づかせてもらった。


 先日、久々にプールに行った。

 「華英ちゃん? きれいな背泳ぎ、誰かと思ったわ」

 女性のスイマーに声をかけてもらった。年齢を聞いてみると、80歳。肌つやもよく、元気。年齢を全く感じさせない、すてきな方だった。

 「週3は泳いでいるの」

 水泳は47歳から始めたという。つまり33年目のベテランだ。

 「けがもなく、病気もないんです」

 家の裏にプールができたことが始まりだったという。

 最初は、全く泳げなかった。でも、続けていくうちに楽しくなった。

 「90歳までは必ず続けます」


 花岡さんの話も、80歳の女性スイマーの話も、なんだか似ている。

 トップアスリートと違うじゃないかと思うかもしれないが、1つ1つ努力を積み上げていく姿に私は、同じようなものを感じた。


 平昌オリンピックから日本へ戻ってきて、スポーツの役割について考える時間がまた増えた。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)