1990年2月3日、東京・後楽園ホールに観客を入れてタイソンの公開スパーリングが行われた。練習にもかかわらず入場料は5000円。2年前の2000円からはね上がった。それでも708席の前売り券は早々に売り切れ、会場周辺にはダフ屋が出る騒ぎになった。もちろん観客のお目当てはスパーリングパートナーをぶっ飛ばす最強王者の剛腕パンチだった。

タイソンのパートナーは1月23日のスパーリングでダウンを奪われた因縁のグレグ・ペイジだった。観客の前で借りを返すことができれば、復調のきっかけになるかもしれないと私は思った。しかし、1回1分半過ぎ、激しい打ち合いからペイジの左フックを浴びてタイソンは大きくよろめいた。あわやダウンというシーンに、トレーナーのアーロン・スノーウェルは「タイム!」と慌てて声を上げて止めた。

公開スパーリングでスパーリングパートナーを攻め立てるマイク・タイソン(左)。後方左はプロモーターのドン・キング氏(1990年1月23日)
公開スパーリングでスパーリングパートナーを攻め立てるマイク・タイソン(左)。後方左はプロモーターのドン・キング氏(1990年1月23日)

もし今回の挑戦者がペイジだったら、果たしてタイソンは勝てるのか。そんな思いが私の頭をよぎった。2回からは相手を代えてスパーリングを続行したが、タイソンのクリーンヒットはほとんどなかった。自慢の高速連打も火を噴くことはなく、パンチの精度も明らかに落ちていた。スパーリング後、タイソンは観客の目もはばからず、リング上で20分以上もミット打ちを行い、基本動作を再点検した。

一般のファンの目にどう映ったのか。私は客席を取材した。2年前にも観戦した28歳の会社員は「スピードが落ちて、連打も出ない。別人みたいに動きが悪い」と答えた。22歳の大学生は「以前は鋭く相手の中に飛び込んでいたけど……動きが鈍かった」。素人目にもはっきりと異変が分かる重症だった。元WBC世界スーパーライト級王者の浜田剛史氏は「タイミングをつかめず悩んでいる。だからこの時期にミット打ちをやったりしているんだと思う。大きなカベにぶつかっている」と鋭く指摘した。

翌4日、タイソンは来日4回目の完全休養を取った。向かったのは東京・飯田橋のレンタルビデオショップ。店内では有線で流れるロックミュージックに合わせて踊りはじめるなど上機嫌で「シンイチ・チバ(千葉真一)の映画はどれ?」と私にも声をかけてきた。連日の不調ぶりがウソのように明るかった。結局、空手映画など計10本を借りてホテルに戻った。

「ちょっとピークを早くつくってしまっただけさ。不安も焦りもない。精神的にはリラックスしている」と、トレーナーのジェイ・ブライトは笑って取材に答えた。タイソン本人を含む陣営の言動には、どこか過信が見え隠れする。それが気になった。決戦はもう1週間後に迫っている。いまだ本来のボクシングを取り戻せていないのに、こんな楽観ムードでいいのか。タイソンを取り巻く何となく緊張感を欠く空気にも違和感を覚えた。

もっとも、たとえ王者が不調でも結果に何の影響もないというのが大方の見方だった。この試合決定当初、米ラスベガスのブックメーカーは「タイソンが強すぎて賭け率が成立しない」とオッズを付けていなかった。29歳の挑戦者ジェームズ・ダグラス(米国)は4敗のうち3度がKO負け。勝敗よりもタイソンが何回で決着をつけるかに注目が集まっていた。「ダグラスのリングシューズの裏側にも広告が付く」。そんなジョークまで飛びかった。王者陣営が楽観するのも無理はなかったし、引き締め役もいなかった。

タイソンのスパーリングでのダウンが全世界に報じられた後に発表された賭け率は42対1でタイソン。過去最大差がついた。それほど挑戦者への期待は薄かった。そもそもなぜ、今回の相手にダグラスが選ばれたのか。そこにはある理由があった。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)

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ダグラスとの統一ヘビー級タイトルマッチのため来日し、会見で「一番」と自らのサインが書かれたボード見せるマイク・タイソン(1990年1月16日)
ダグラスとの統一ヘビー級タイトルマッチのため来日し、会見で「一番」と自らのサインが書かれたボード見せるマイク・タイソン(1990年1月16日)
WBA・IBF・WBC世界ヘビー級タイトルマッチ合同記者会見で同席したマイク・タイソン(左)とジェームス・ダグラス(右から2人目)
WBA・IBF・WBC世界ヘビー級タイトルマッチ合同記者会見で同席したマイク・タイソン(左)とジェームス・ダグラス(右から2人目)
予備診断を受けるマイク・タイソン(90年2月1日)
予備診断を受けるマイク・タイソン(90年2月1日)
ダグラスからダウンを奪われKO負けしたマイク・タイソンはダメージからレフェリー(左)に寄りかかる(1990年2月11日)
ダグラスからダウンを奪われKO負けしたマイク・タイソンはダメージからレフェリー(左)に寄りかかる(1990年2月11日)