1990年1月25日、タイソンは来日10日目にして初めて休養を取った。その日の午後、彼が向かったのは高級レストランでもショッピングでもなく、上野動物園だった。到着してすぐにハトの群れを発見すると、満面の笑みを浮かべて売店でポップコーンを購入して、寄ってきたハトにばらまきはじめた。左目の下には黒いあざができていたが、彼のこんな柔和な表情を見たのは初めてだった。

上野公園でハトを素手で捕まえるマイク・タイソン(1990年1月25日)
上野公園でハトを素手で捕まえるマイク・タイソン(1990年1月25日)

米国ニューヨーク・ブルックリンのゲットー(貧しい黒人街)で生まれ育ったタイソンは小学校の頃、孤独ないじめられっ子だった。父親の顔は知らず、母親からも愛情を注がれなかった。すさんだ心を癒やしてくれたのがハトだった。ニューヨークの自宅に400羽も買っていたという。その大切なハトをいじめられたことに腹を立て、報復のためにいじめっ子たちを殴り倒してしまう。それは自らの腕力に目覚めた瞬間でもあった。

70億円を稼ぎ出して億万長者になった今も、彼は子どもの頃とはまた別の孤独を抱えているのかもしれない。寄ってきたハトを一瞬の早業でつかみ上げ、顔を近づけてはうれしそうに笑うむじゃきな顔を見て私はそう思った。

実はその数日前、私はタイソンが宿泊していたホテル・ニューオータニのスイートルームを訪れた。会社のほぼタイソンと同世代の女性記者3人との対談を企画し、この試合のプロモーターでもある帝拳ジムの本田明彦会長にお願いして実現した。

タイソンは上機嫌で実に冗舌だった。「日本の女性は内向的な感じがしていたんだ」「ほら、この音楽を聴いてみてよ、アフター7(R&Bグループ)の曲なんだ」「日本の女性が大革命を起こしたって本当なの?」(社会党の土井たか子議員のこと)

そこにいたのはふつうの23歳の青年だった。「本当はこんなフレンドリーな話がずっとしたかったんだ」という言葉が強く胸に残った。札束と取り巻きに囲まれた彼が本当に求めていたものは、ハトと戯れることであり、同世代とのたわいもない会話だった。あのときも女性記者を前にはしゃぐタイソンが、どこか孤独に見えた。

上野動物園に出向いた翌26日もタイソンは休養を取った。27日に試合用トランクを着用して本気モードで練習を再開。スパーリングもしたが調子は上向かなかった。28日は約1時間ほどミット打ちをしただけ。29、30日もミットを打っただけで予定されていたスパーリングは取りやめた。「試合前にやる練習じゃないよね」と、本田会長が不安げにつぶやいた。

来日2週間でスパーリングはたった25回。初来日した2年前と比べると、練習量が圧倒的に少なかった。スパーリングのラウンド数は半減し、ミット打ちも心拍数を限界まで上げるようなハードなものではなかった。自らの肉体をいじめ、追い込む練習ができていない。それを厳しく忠告する取り巻きもいなかった。明らかに試合を甘くみすぎていた。

練習不足は体重調整にも影響した。ヘビー級は体重無制限だが、タイソンはデビュー以来、ベストウエートを218ポンド(約98・8キロ)と決めていた。それが224ポンド(102キロ)からなかなか落ちなかった。スノーウェルは「今は223ポンド(約101キロ)がベスト」と主張したが、タイソンは「体重が落ちるまで食べない」と譲らなかった。米国から専属コックを呼び寄せ、朝は果物、練習後はチキンヌードルスープとサラダを食べるだけだった。

2日間の心身の休養にも不安が解消されないまま、試合までの時間がじりじりと迫ってきた。そして、2月1日、東京・慈恵医大病院で行われた予備検診で、新たな不安材料が明らかになった。【首藤正徳】

絶頂期タイソン悪夢2・11、取材ノートで敗因探る(1)

タイソン最初の異変、ミット打ちでのズレ修正できず(2)

苦戦の予感、公開練習でタイソン倒れ全世界に打電(3)

90年2月、WBA・IBF・WBC世界ヘビー級タイトルマッチの10回、タイソン(右)はダグラスの強烈パンチでダウンを喫しKO負けする
90年2月、WBA・IBF・WBC世界ヘビー級タイトルマッチの10回、タイソン(右)はダグラスの強烈パンチでダウンを喫しKO負けする
ダグラスからダウンを奪われKO負けしたマイク・タイソンはダメージからレフェリー(左)に寄りかかる(1990年2月11日)
ダグラスからダウンを奪われKO負けしたマイク・タイソンはダメージからレフェリー(左)に寄りかかる(1990年2月11日)
ダグラスとの統一ヘビー級タイトルマッチのため来日したマイク・タイソン。右から2人目はプロモーターのドン・キング氏(1990年1月16日)
ダグラスとの統一ヘビー級タイトルマッチのため来日したマイク・タイソン。右から2人目はプロモーターのドン・キング氏(1990年1月16日)
WBA・IBF・WBC世界ヘビー級タイトルマッチ合同記者会見で同席したマイク・タイソン(左)とジェームス・ダグラス(右から2人目)
WBA・IBF・WBC世界ヘビー級タイトルマッチ合同記者会見で同席したマイク・タイソン(左)とジェームス・ダグラス(右から2人目)
ダグラスとの統一ヘビー級タイトルマッチのため来日し、会見で「一番」と自らのサインが書かれたボード見せるマイク・タイソン(1990年1月16日)
ダグラスとの統一ヘビー級タイトルマッチのため来日し、会見で「一番」と自らのサインが書かれたボード見せるマイク・タイソン(1990年1月16日)