東京オリンピック(五輪)・パラリンピックへの「逆風」が止まらない。大型連休明けの新型コロナ感染拡大は深刻で、各地で新規感染者の過去最多を更新。全国的な緊急事態宣言発出の必要性も問われる中、ますます東京大会中止論は加速している。

医療現場からの悲痛な声があがり、オンライン上の開催反対署名も9日午前11時までに30万人近い賛同を得ている。海外の大手メディアのコラムでも大会に対するネガティブな論調が目立つようになってきた。

逆風に反対する発信もある。WHOは7日「大会開催は我々の希望」とし、8日にはIOCのコーツ副会長が「開催を阻止するものはない」と主調した。菅義偉首相も「安心安全な大会にすることは可能」と意欲を示した。もっとも、IOCや政府の発信は「逆風」を助長するだけ。国民感情を逆なでするような発言内容も問題ではあるが。

基本的に、開催は8年前に決まっている。延期になったとはいえ、準備は止められない。問題は「中止」をいつ決断するか。感染拡大が続き、今後の重症患者増も確実な現状では、開催は難しい。仮に2カ月後も今の状態なら「中止」はやむを得ない。ただ、まだ時間はある。その間に状況が好転し、ワクチン接種も進めば風向きは変わる。中止決定はギリギリでいい。

多くの国民は「五輪は見たい」と思っているはず。ただ、今は「五輪どころではない」のが本音だ。感染拡大は社会生活に多くの影を落とす。中途半端な感染対策、一向に改善しない病床状況、ワクチン接種の遅れ…。政府への不満の矛先が、すべて東京大会に向かっているように思う。

五輪とパラリンピックの参加者に対するワクチン無償供与にも「選手は特別なのか」という声があがる。各国への提供数とは別枠だが、選手たちは「私たちだけが打っていいのか」と世論を気にする。これでは、追い風にもならない。海外選手の多くが歓迎しているのとは対称的だ。

レスリングの世界最終予選で3大会連続五輪出場を決めた高谷惣亮は「国民の理解を得られない舞台」だと言った。世界2位にもなり、この10年間男子をけん引してきた選手の言葉としては、あまりに悲しい。国民の理解も得られない大会をやる意味があるのか。選手たちも苦しんでいる。

政府も組織委員会は「安心安全な大会」を連呼してきた。選手への負担も大きいが、その対策は各国から信頼されている。昨年延期決定前には各国五輪委員会から不安の声が流れたが、今はない。IOCもWHOも各国選手団も、日本の感染対策を信頼している。

「安心安全」は選手だけでなく、国民にも担保されるべきもの。言い方は悪いが、現状では入国者の一部は「野放し」状態。五輪選手や関係者は徹底して管理されるということを説明するべき。医師や看護師はなぜその数が必要か、どう調達するのか、火に油を注ぐ「休まれている方もたくさんいる」ではなく、丁寧に説明することだ。「できる」だけでなく、具体的な「できる」理由がほしい。国民の理解を得ることは、開催国政府の責任でもある。

競泳の池江璃花子は大病から復活して奇跡的な出場を決めた。飛び込みの玉井陵斗は最後の1本で切符を手にした。高谷は最後の予選大会で滑り込んだ。選手たちは最後まで諦めず、可能性を信じて戦う。組織委委員会も政府も都も、ギリギリまで開催のために努力してほしい。選手が安全に競技に集中でき、国民が選手たちを心から応援できる舞台ができれば、その先には「開催して良かった」と誰もが思える東京五輪・パラリンピックがあるはず。それが、何ものにも替え難い「レガシー」になる。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)