1994年1月6日、米デトロイト。同年のリレハンメル五輪代表選考会を兼ねた全米選手権開幕を翌日に控えた公式練習日だった。92年アルベールビル五輪銅メダリストのナンシー・ケリガン(当時24)は、最終調整を終えてメディアの輪に囲まれていた。そこに黒い影が忍び寄る。金属パイプのような凶器がケリガンの右足に数回振り下ろされた。この襲撃事件がフィギュアスケート史上最大のスキャンダルの端緒になった。


94年2月、リレハンメル冬季五輪女子フィギュアスケートのフリーで演技するケリガン
94年2月、リレハンメル冬季五輪女子フィギュアスケートのフリーで演技するケリガン

ケリガンは右膝にダメージを負って欠場を余儀なくされた。大会を制したのはトーニャ・ハーディング(同23)で2位にミシェル・クワン(同13)。本来ならこの2人が五輪代表だったが、米フィギュアスケート協会は実績、五輪に間に合うという医師の診断を考慮してケリガンとハーディングを代表に選んだ。

時を置かずに事件は思わぬ展開を見せる。FBIなどの捜査当局は1月19日までにハーディングの元夫、ボディーガード、実行犯ら4人を襲撃に関与した容疑で逮捕。実捜査、聴取の過程で4人からはハーディング自身が犯行を画策したとの証言が続出した。元夫は司法取引に応じ、ハーディングが襲撃を最終的に決断したことを明言した。

2人は激しいライバル関係にあった。ケリガンは表現力を重視した美しい演技が持ち味。ハーディングは伊藤みどりに次ぐトリプルアクセル成功者でジャンプの切れが特長。ただ、ハーディングは91年の世界選手権2位以来、世界舞台で表彰台に立てず、前年からは低迷が続いていた。


94年2月、リレハンメル冬季五輪女子フィギュアスケートフリーで演技するハーディング
94年2月、リレハンメル冬季五輪女子フィギュアスケートフリーで演技するハーディング

2月に入ると米協会、米五輪委員会(USOC)はハーディングの五輪出場について再検討する方針を打ち出した。一方のハーディングは正当な選手生活を妨害されたとして、米協会を相手に2500万ドル(当時約27億5000万円)の賠償を求めて提訴。結局、提訴を取り下げる代わりに五輪出場を認めるという示談が成立した。その裏には代表剥奪後に無実が証明されたら、という米協会側の懸念、米放送局の五輪視聴率への期待などが渦巻いていたという。(敬称略)(2017年11月30日紙面から)