プレーバック日刊スポーツ! 過去の11月5日付紙面を振り返ります。2004年の東京版3面は田臥勇太NBAデビューでした。

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<NBA:サンズ112−82ホークス>◇2004年11月3日(日本時間4日)◇フェニックス

 田臥勇太(24=サンズ)が鮮烈のNBAデビューを飾った。ホークスとの今季初戦に第4Q途中から出場。10分間プレーしフリースローで初得点、さらに3点シュートを決めるなど7得点、1アシストを記録した。日本人初のNBA出場を果たしただけでなく、持ち味の鋭いパス、ドリブルでナッシュ、バルボザに次ぐポイントガード(PG)としてチームに貢献。2季ぶりプレーオフを狙うサンズは112−82で白星発進した。

 田臥が歴史的な第1歩を踏み出した。第4Q2分、身長175センチの日本人PGが、初めてNBAのコートに立った。ダントーニ監督に突然呼ばれて慌てたのか、ユニホームのひもを締め直しながら登場だ。「ライジング・サン」と呼ばれ、本拠地フェニックスのファンの心をつかんでいる。大量リードでの登場ながら接戦時以上の大歓声で迎えられ、NBAデビューを祝福された。

 「全く緊張しなかった。むしろ楽しみながらできた」。司令塔ナッシュ、第2PGバルボザが実力通りのプレーを見せて前半から快勝ムード。38点差がついたところで声がかかった。バルボザとの併用でシュートチャンスをもらい、いきなりジャンプショット。その一投で硬かった動きがほぐれ、身長203センチのディアウに対しても積極的なマークが続く。そして5分27秒、初ファウルをもらって初得点のチャンス。観客も総立ちの中、NBAに歴史を刻む2本のフリースローを決めた。さらに7分には中央右から鮮やかに初の3点シュートを成功させた。「空いたから打った。いつでもシュートを狙っている」。

 プレシーズン戦で課題といわれた得点能力をデビュー戦で見せつけて7得点。大男の間をすり抜け、観客を沸かせた。アシスト記録は1つだけだったが、何度も持ち味の鋭いパス、ドリブルで得点チャンスをつくった。第3Qまで出番がなく気をもませたが、10分間で完全にチームの戦力として認められた。「人生初のNBAで自分の形でプレーでき、勝ててよかった」と予想以上のデビューとともに、チームの大勝発進を喜んだ。ダントーニ監督も「彼のようなガッツのある選手は必要。これを続けることだ」と高く評価した。

 オープニングではトランペットの米国歌吹奏を感慨深げに聞いた。昨シーズンは開幕前にナゲッツから解雇され、米独立リーグABAのジャムでプレー。リーグ内では最高級待遇のチームも、バスに揺られてメキシコまで遠征し、シャワーが壊れたホテルにも泊まった。選手の人数がそろわなかったり、ユニホームを忘れてくるような対戦相手と戦った。「いい経験になった」という下積みを経て、アメリカンドリームを実現した。

 サンズは今季ナッシュらの補強で戦力アップしており、チーム内競争も激しい。「立場は保障されてない。決して気を抜くことはできない」。5日の76ers戦ではアイバーソンに挑戦する。日本の小さな「サムライ」の挑戦は、始まったばかりだ。

<田臥勇太(たぶせ・ゆうた)アラカルト>

 ◆生まれ 1980年(昭55)10月5日、横浜

 ◆バスケとの出会い 小2のころ、ミニバスケをしていた姉の影響で始める

 ◆中学時代 横浜・大道中3年時に全国4強。ただし、長距離走が苦手で、49歳の顧問教師に最後方から抜かれたことも

 ◆高校9冠 秋田・能代工では3年連続で総体、国体、高校選抜を制する

 ◆紆余(うよ)曲折 高校卒業後は米ブリガムヤング大ハワイ校−トヨタ自動車−NBAナゲッツ−ABA(米独立リーグ)ジャムを経て今夏、サンズのキャンプに呼ばれる

 ◆あこがれ 神がかり的なシュートを次々と決めたジョーダン以上に、華麗なノールックパスを得意にしたマジック・ジョンソンにあこがれる

 ◆人気者 96年に「進研ゼミ」のテレビCMで当時のNBAスター選手ユーイングと競演。98年に全日本総合選手権で代々木第2体育館を満員にしたことは伝説となっている

 ◆CM 現在は「アサヒスーパードライ」とナイキのテレビCMに出演中

 ◆サイズ NBAの公式発表では175センチ、75キロ。身長はNBAで2番目に小さく、体重は同5番目に軽い。ボイキンス(ナゲッツ)が165センチ、60キロでともにNBA最小

 ◆家族構成 父直人さん、母節子さん、姉志穂さん

※記録や表記は当時のもの