こんな選手はもう二度と現れないかもしれない。フィギュアスケートの女子で数人しか成功例のない大技のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に挑んで注目を浴び、同い年のライバル金妍児(韓国)とは2010年バンクーバー冬季五輪などで数々の名勝負を繰り広げた。10日、現役引退を表明した浅田真央はスポーツの枠を超えて愛された国民的なヒロインだった。

 05年12月に東京で行われたグランプリ(GP)ファイナルで一躍脚光を浴びた。中学3年生が当時最強と言われたイリーナ・スルツカヤ選手(ロシア)を抑えて初出場で優勝し、世界に衝撃を与えた。天真らんまんだった少女が大人に成長する過程を日本中が見守った。26歳となった今も親しみを込めて「真央ちゃん」と呼ばれる。

 11年12月には最愛の母、匡子さんが48歳の若さで亡くなった。悲しみに暮れたが、直後の全日本選手権に出場して5度目の優勝を果たした。その後も「スケートをやめようか」と悩むほどのスランプがあった。それを乗り越えて臨んだ14年のソチ五輪ではショートプログラムで16位と大きく出遅れたが、フリーで圧巻の巻き返しを見せた。苦難に立ち向かう姿が人々の心を打った。

 世界ジュニア選手権、ファイナルを含めたGPシリーズ全大会、世界選手権…。いくつものタイトルを積み上げたが、悲願だった五輪金メダルには届かなかった。生まれたのが約3カ月遅かったため、最も勢いに乗っていた15歳の時に年齢制限で06年トリノ五輪に出場できなかったことは悲運としか言いようがない。

 フィギュアを日本で有数のメジャーな競技に押し上げた功績は計り知れない。浅田選手に憧れる子どもたちがスケートを始め、普及と強化にも貢献した。5歳でスケートに出会い、ソチ五輪後には一時休養。「ハーフハーフ(半々)」と進退を思い悩んだ心境から「試合が恋しい」と現役を続行した希代のアスリートが、勝負の銀盤に別れを告げた。