フィギュアスケートの元世界女王、浅田真央(26)が12日、都内で引退会見を開いた。

 浅田は女子フィギュアの五輪枠が2枠に減ったことが、引退の決断に影響したかと聞かれ「最後、話し合いをして決めたのは2月だったので。世界選手権(の結果で枠が減ったから)が影響したわけではなく、自分自身が決めたこと」と否定した。主な一問一答は以下の通り。

 -ファンの皆さんにひと言

 本当に、たくさんの方が私のことを応援してくださって、本当に長い間、いい時も悪い時も諦めずに応援してくださったので、私もすごい励みになりましたし、それがパワーになりました。本当にありがとうございました。

 -引退の実感は

 発表するまで、あまり自分の中で、すごい実感はなかったんですけど、またこうして、ここに座って前のことを振り返ると、少しずつ「あぁ…引退するんだなぁ」という気持ちは湧いてきますね。気持ちは、すごく晴れやかな気持ちです。

 -スケートをはかない生活が待っている

 1月から4月までは、スケート靴を履かず、滑らずにいました。7月にショーがあるので滑り始めます。

 -何か1つ、選手生活でやり残したこと、悔いがあるとしたら?

 本当に決断をするにあたって、たくさん悩みました。でも、自分がやり残したことは何だろう…と思うことがなかったので、自分は全てやり尽くしたんじゃないかな思います。

 -今日は白いブラウスにジャケット。白い衣装を選んだポイントは

 黒のスーツか白…どちらにしようかか、いろいろ悩んだんですけど、自分の気持ちとしては、本当に晴れやかな気持ちなので、この服を今、着ています。

 -現役時代は「ノーミス」と、よく口にしていた

 やっぱり失敗はしたくないですし、これだけ試合に向けて練習しているからこそ、ミスはしたくないと思うと思う。自分は試合に強いタイプではないので、あえてんじぶんで言っていたんじゃないかと思います。

 -トリプルアクセルは、どんなもの?

 私は伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが跳びたいと思って、ずっとその夢を追ってやってきたので(跳べて)すごくうれしかったですし。自分の強さでもあったとは思うんですけどけど、その分、悩まされることも多かったです。

 -5歳の自分に、どう声をかける?

 難しいなぁ…「頑張って」って。やっぱり、私はこれだけフィギュアスケートをやっていて、たくさんの方に応援していただいて、本当に幸せだなと思っています。大変なこともあったんですけど、自分に対してエールを送ると思います。

 -スケートをやっている子どもたちにアドバイスを

 私は小さい頃から本当にスケートが大好きで、ただただ好きでやってきた。なので、今から始める子だったり、頑張っている人には「スケートを大好きな気持ちを忘れないでね」って言いたいかなと思います。私も本当に子どもが大好きなので、以前もスケート教室はやっていましたけど、また機会があればやりたいなと思います。

 -トリプルアクセルに声をかけるとしたら?

 トリプルアクセルに声をかける…難しいですね。何で、もっと簡単に跳ばせてくれないの? という感じですね(笑い)

 -続けてきた支えになったものは

 1つは、やはり自分の目標。たくさんの方の応援があったからだと思っています。

 -3月の世界選手権で五輪枠が減ったことが引退の決断に影響した?

 さっき、自分で言っていた「平昌五輪という目標を辞めてしまう自分が許せるのかなぁ、許せないのかなぁ」と思っていて。最終的に最後、話し合いをして決めたのは2月だったので。世界選手権(の結果で枠が減ったから)が影響したわけではなく、自分自身が決めたこと。2枠に減ったに関しては残念なことですけど、その2枠を大勢の子たちが争うわけので、本当にハイレベルな試合になるんじゃないかなと思っています。 

 -2月に決断して、4月に発表したのは?

 いろいろ自分の気持ちの準備もあり、今日に至りました。

 -引退の決断を後押ししてくれたのは?

 家族だったりお友だちだったり、知っている方に相談しました。いろいろアドバイスを受けたんですけど、最終的に決めたのが自分自身。旅行に行ったり、いろいろ今まで行けなかったところに行ったりする中で考えて、決断しました。

 -21年間のスケート人生。1番印象に残っている言葉、大切にしている言葉は?

 そうですね…。本当に、決断してからは、たくさんの方が温かいメッセージを送ってくださったので私自身、本当に晴れやかな気持ちで今、この場にいます。なので、感謝という気持ちは、これからも忘れずに進んでいきたいです。

 -浅田選手の活躍で、多くの人がフィギュアに興味を持ち、日本でブームになり強い国になった。自分はどう貢献したと思う? スケート界に、その流れが続くためにどうしていきたいか

 私が小さい頃は、伊藤みどり選手をはじめ、本当にトップのすばらしいスケーターがいて、私も、こうなりたいと思って、ずっと目指してやってきました。ジュニア、シニアに上がってからは、本当にそれぞれ、強くて魅力のある選手が集まって、それぞれが成長しあい、切磋琢磨(せっさたくま)しながら頑張ってきました。応援してくださるメディアの方、ファンの方だったりがいたから、やはりここまでフィギュアスケートも、たくさん注目されるスポーツになったんじゃないかというふうに思っています。なので、これからのスケーターの子たちには、みんなでそれぞれ高めあって、刺激しあいながら頑張ってほしいと思っています。

 -ソチ五輪のショートからフリーを演じる中での、22時間の思い

 ショートが終わってからは、本当に「日本に帰れない」とかって、すごくつらい思いをしました。フリーの時も気持ちが切り替わっていなくて、大丈夫かなという形で練習をし終えました。試合が近づくにつれて、メークして、アップをして、リンクのドアを出た瞬間に、すごい会場で「じゃあ、これはやるしかないな」という思いが出てきた。

 -競技が終わった瞬間

 上を見たんですけど、あぁ終わった…と思いました。良かったという思いが込み上げて、ちょっと涙してしまったんですけど、バンクーバーの時、悔し涙を流していたので、泣いちゃダメだなと思って、頑張って笑顔にしました。