伊達公子(エステティックTBC)が世界67位のアレクサンドラ・クルニッチ(セルビア)に、国際公式戦シングルス通算721試合目にして、初めて1ゲームも奪えない0-6、0-6の完封負け。08年に現役復帰し、9年間にわたった2度目の現役生活に幕を下ろした。日本のテニス史に名を刻んだ「世界のキミコ」は次世代にバトンを渡した。

 日本テニスの1つの時代が終わった。女子はツアー草創期の70年代に、沢松和子(現姓吉田)がウィンブルドンのダブルスで75年に優勝するなど活躍。しかし、72年に現行ツアー制度ができて、まだプロテニスとしては駆け出しの時代だ。

 80年代後半からプロテニスは成熟期に入り、そこに初めて日本からトップ選手として躍り出たのが伊達だった。ただ、前例がない分、先駆者がかき分ける道は厳しかった。その中で世界4位となり、女子シングルスで初めて全仏とウィンブルドンで4強入りした。

 伊達がいなければ、その後、世界8位、ダブルス世界1位になった杉山愛、そして現在の錦織圭に見る男子の活躍もなかったに違いない。164センチと大きくない体格で、プロの世界で戦えることを初めて示した彼女の功績は、日本テニス史において非常に大きかった。