男子テニスの国別対抗戦デビス杯ワールドグループ1回戦日本-イタリアが、2月2日から3日間、盛岡タカヤアリーナで行われる。世界最上位16カ国のワールドグループが東北で開催されるのは初めて。今対戦で日本のエースとなる仙台市出身の杉田祐一(29=三菱電機)にとって、東北に錦を飾る最高の舞台だ。その熱い思いを、日刊スポーツが聞いた。

 絶好調で盛岡入りだ。デビス杯直前の今季4大大会開幕戦、全豪オープンで、杉田が大金星を挙げた。1回戦で世界9位のソック(米国)を撃破。錦織圭以外が、4大大会でトップ10に勝つのは74年全仏1回戦で神和住純が当時7位のスミス(米国)を破って以来の快挙だった。

 杉田 トップ10の選手に4大大会で勝てたのは本当に大きなこと。自分のテニスを貫き通せて、うれしさがこみ上げてきた。

 2回戦で、身長211センチの巨人、カロビッチ(クロアチア)に敗れたが、4時間33分、4大大会日本男子最多合計70ゲームの死闘を演じ、歴史に名を刻んだ。

 杉田 オーストラリアに来て2週間。こんなに風がない日は初めてだった。サーブを武器にする選手には風が大敵だが、その風がなくて、少し運もなかった。

 今年の9月で30歳になる。09年全米で4大大会の予選に初めて挑戦し、17回連続で負け続けた。10年以上、ツアー下部大会を中心とした世界転戦で芽が出なかった。その男が、昨年7月、アンタルヤオープンで日本男子3人目のツアー優勝で覚醒。まさに遅咲きである。

 杉田 ここまで来るのに長かった。テニスをやめざるを得ないと思ったことも何度もある。特に、プロ2年目は、結果を出せずに(日本に)戻ってくるのを繰り返したのは本当にこたえた。

 中学1年まで仙台で育った。中2からテニスのため、関東に進出。04年全日本ジュニア16歳以下で優勝し、日本のトップジュニアに躍り出た。今も東京を拠点とするが、育ててくれた東北への思いを忘れたことはない。

 杉田 1人でも多くテニスで、プロを目指すような選手が東北から出てほしいという願いがある。ほかのスポーツではいるんですが、テニスはまだまだ少ない。何とかしたいという思いは常にある。

 11年3月に起きた東日本大震災をきっかけに、仙台にある小学校時代に通ったテニスクラブで、年1回、クリニックを始めた。

 杉田 最初は「復興クリニック」という名目で始めた。募金もやったんですが、それよりも、現地に行って、みなさんに会えるクリニックの方を大事にしている。今年からは「強化クリニック」にしたい。テニスに真剣に取り組む子が増えてほしいという思いに、今は変わってきている。

 盛岡で行われるデビス杯は、世界のトップを肌で味わえる最高の舞台だ。もちろん、東北への恩返しとして、必勝も期す。

 杉田 代表の試合はなかったので、真剣にテニスをしたいファンに、本当にいい機会だと思う。また、自分の活躍が何かしら子どもたちの刺激になればいい。だから、東北でやる大きな日本代表の試合という意義は十分にある。

 盛岡でエースとして、日本を世界の8強に導く。そして、今年の目標は、もう1つのタイトルだ。

 杉田 タイトルは、もう1つほしい。そこは狙っていきたい。世界ランキングもトップ20になる位置まで持って行けたら、自然とタイトルもついてくると思う。

 ◆杉田祐一(すぎた・ゆういち)1988年(昭63)9月18日、仙台市生まれ。7歳でテニスを始め、湘南工科大付(神奈川)時代の05年高校総体単優勝。06年にプロに転向し、10、12年全日本選手権単優勝。07年デビス杯で代表デビューし、18歳4カ月での初勝利は、当時の代表最年少記録だった。自己最高世界ランク36位は、錦織圭に次ぐ日本男子歴代2位。176センチ、67キロ。家族は両親と姉の4人家族。