世界28位の錦織圭(28=日清食品)が、日本男子として史上初めて4大大会全8強以上の快挙を達成した。同138位で予選勝者のエルネスツ・ガルビス(ラトビア)に4-6、7-6、7-6、6-1で勝ち、日本男子では95年松岡修造以来23年ぶり、戦後2人目のベスト8に進出した。これで、4大大会すべてで8強以上の成績を残した初の日本男子となった。

 10年前の08年。初めて4大大会の本戦でプレーしたのがウィンブルドンだった。しかし、日本男子最年少18歳5カ月での4大大会デビューは、最初の2セットを分け合ったところで、左腹筋肉離れで棄権となった。苦い思い出だ。

 実は、その前の5月。錦織は、両親に「テニスをやめたい」とメールを送っている。2月に米デルレービーチ国際でツアー初優勝を飾ったが、その後、壁にぶち当たり、思うようなプレーができなかった。初めて錦織がこぼした弱音だった。

 母恵里さんが、息子の好きな詩人、相田みつをの「いつでも誰でもラッキーは来る」という言葉を贈り、立ち直ったという。「長い道のりだった。けがもあって波のある10年だったが、順調に成長できている」。

 特に芝コートには泣かされてきた。過去、ウィンブルドンに9回出場し、3回が棄権。ツアーでも、ウィンブルドンをのぞいた芝の12大会に出場し、5大会に棄権している。常に故障と背中合わせで「バウンドが低いため、体を低くすることで、いつも使わないところに負荷がかかる」。この日も、右上腕部をトレーナーに何度もマッサージを受けた。

 自分との闘いだった。第3セットまで、相手のサービスゲームを1度も破れず。自分のサービスゲームは、第1セット、第5ゲームで落とした。第2セットも自分のサービスゲームをキープするのに四苦八苦。右上腕部への痛み止めか、医者に渡された錠剤を飲んだ。しかし、耐えに耐え、第2、3セットをタイブレークで奪い勝利へとつなげた。【吉松忠弘】

 ◆日本男子4大大会全8強メモ 過去、日本男子で4大大会すべて8強以上の成績を残した選手はいなかった。3大会まで8強以上の成績を残したのは戦前の佐藤次郎(故人)。全豪、全仏、ウィンブルドンで最高ベスト4。しかし、全米だけ33年の4回戦が最高成績だった。戦後は錦織だけ。