大会史上、1試合最多失点を喫した山形中央は部員19人、今大会出場校中最少だった。「ベンチがかつかつで、いる人間でやるしかない。経験も少なく、体もできていない1年を使わざるを得ませんが、大人数でもまれた3年相手では厳しいです」。佐藤大志監督(34)の顔がゆがんだ。

山形国体のあった92年頃。競技の強化が進み、部員数は50人前後を数えた。しかし、少子化の波が直撃。佐藤監督就任の6年前から学年のクラス数もひとつ減って6。男女比も女子が上回った。部員数確保は困難を極めている。

フッカー工藤翔主将(3年)は、県内で唯一ラグビー部がある山形一中出身だが、野球部だった。3年夏の引退後、ラグビー部顧問に誘われて「体を動かしたい」と軽い気持ちで入部したが、ハマッた。高校用に三塁手の硬式用グローブも買っていたのに、2歳下のいとこにあげてしまった。

「山形県全体で頑張ってほしい。イベントとかあれば、積極的に協力したいです」。ラグビーの魅力を肌で知るだけに、工藤主将は悲しげだ。【加藤裕一】