全国高校ラグビー大会は9日、大阪・花園ラグビー場で決勝戦・京都成章(京都)-桐蔭学園(神奈川)を行う。出場13度目で初の決勝に臨む京都成章・湯浅泰正監督(56)は13年に大病を患い、手術を受けた。監督就任34年目。1度は諦め掛けた日本一の夢へ。大一番に選手を送り出す。

湯浅監督は、かなりかすれたガラガラ声だ。いつもの花園なら、フィールドの選手まで届きそうにないが、無観客の今回は何とかなる。「ほんまは何も言わん方がええ。子供ら、迷いますもんね。途中まで我慢するんです。でも、あきません。我慢できんようになりますわ」-。

痩せた風貌に、声色、しゃべり方。学生時、回りから「似てる」と言われた明石家さんま風のトークだが、以前は「もうちょっとエエ声」だった。変わったのは13年10月15日、大病の手術を受けてから。病がわかり、余命のことも脳裏をよぎった。兄貴分であり、盟友の御所実・竹田寛行監督(60)に病を告げ、2人で号泣した。約2カ月の入院、その後の療養。当時すでに花園ベスト4を2度経験し、決勝を逃していた。「回りも迷惑する。辞めた方がええか」と悩んだ。

なえかけた心に、教え子が火を入れた。14年3月18日、50歳の誕生日に、部員が寄せ書きTシャツをくれた。「花園に行きましょう!」「日本一になりましょう!」。無数のメッセージがあった。背中に「50」。少し頭が薄くなった自分の似顔絵が、0にかぶせてあった。「もう1回、頑張ろか」と腹を決めた。

手術から7年以上たった。直後は投薬、治療の副作用でつばが出なかった。うっかり好物のおかきを食べたら、口は傷だらけ。水のペットボトルが手放せず「僕が死ぬときは、誤嚥(ごえん)や」と思っていた。「最近、ちょっとツバ出るようになりましてね。せやからもう、水持ち歩かんでもようなって」。監督で山あり谷ありの34年目。待望の決勝戦でも、きっと元気なダミ声がさく裂する。【加藤裕一】

◆湯浅泰正(ゆあさ・やすまさ)1964年(昭39)3月18日生まれ。京都・亀岡高-琉球大卒。現役時はSO、WTB。