女子50キロ級で須崎優衣(21=早大)が初の五輪出場を決めた。5人で行われたリーグ戦で初戦から3連勝し、4試合目を待たずに上位2枠の五輪出場枠を獲得。日本協会の選考基準を満たした。

17、18年世界女王ながら、1度は自力での東京五輪出場の道が途絶えた。18年12月の全日本選手権を左肘の脱臼と靱帯(じんたい)断裂で棄権。ライバルの入江ゆきに優勝を譲り、19年のプレーオフでは1-6で破れ、世界選手権切符を逃す。入江が世界選手権でメダルを獲得すれば、五輪に内定する状況。軽量級の日本の強さを鑑みれば、東京の道はついえたかに思えた。

だが、世界選手権で3回戦敗退。出場枠を手にできず、19年末の全日本選手権の勝者がアジア予選に臨むことになった。入江との最終決戦は決勝。2-1の僅差で優勝し、東京行きの権利をつかんだ。

五輪は小3の時の北京大会から見ていた。真剣に金メダルをとりたいと思ったのは5年生の時。「全国少年少女選手権に優勝して、考えるようになりました」と振り返る。中2からは寄宿制のJOCエリートアカデミーに入り、実家に戻るのは年に数回という寄宿制の「虎の穴」で将来を嘱望されてきた。

最軽量級は女子採用の04年アテネ五輪以降、金メダル3つ、銀メダル1つの伝統を誇る。「覚悟と責任を持って戦いたい」。予選前にそう語った。本番では、必ず頂点をつかむ。