令和の三四郎が体重差75キロの死闘を制した。

伝統の体重無差別7人制団体戦が行われ、東海大が6連覇。決勝で15年ぶりの優勝を狙った国士舘大に1-1からの代表戦の末、勝利を収めた。最後は180センチ、95キロの村尾三四郎(4年)が、全日本王者で191センチ、170キロの斉藤立(3年)との16分間を超える延長戦を勝ち切った。

先鋒から大将まで7人の本戦から劇的だった。まずは東海大。スーパー1年生の先鋒、天野開斗(1年)が帯取り返しの技ありで先手を取った。国士舘大は4月の全日本選手権で初優勝した斉藤が続く次鋒で出たが、東海大・鈴木直登(3年)の粘りで引き分けに持ち込まれた。エースが星を取れない痛い展開となったが、土壇場で追いつく。7人目、大将の高橋翼(3年)が敗色特濃の残り5秒から技ありを奪う執念で、両校から最強の1人を出し合う代表戦に持ち込んだ。

3年ぶりの有観客で熱気を取り戻し、どよめく武道館。勝った方が日本一だ。もちろん国士大は斉藤が出た。代表戦になると信じ、大将戦の最中から立って出番を待っていた。

東海大は主将の村尾。登録体重は斉藤が170キロで村尾が90キロだが、村尾は実際は95キロで臨んでいた。

それでも75キロ差。ほぼ2倍という劣勢を、村尾が粘って粘って、ひっくり返した。90キロ級で国際大会グランドスラム(GS)2大会連続優勝中の実力者。規定の4分間を終え、延長戦に入って徐々に押し返した。

真っ向勝負は当然、分が悪い。「削って削って」消耗戦に引きずり込み、終盤に「立に引き手を切られなくなった」と相手のスタミナ切れを感じ取った。指導2を奪い返して五分に戻すと、最後は16分18秒、斉藤の大外刈りをすかして転ばせる。離さなかった釣り手で締めながら上四方固めに移行。極められた斉藤が動けない。一本となる20秒が経過する前、もう抱き合って喜んでいた仲間を横目に村尾はブザーを聞いた。

スタンドで応援する仲間に向かい、しゃがんだまま拳を握った。表彰式後、記者団の取材を受ける村尾の手は震えていた。170キロの圧力の強さを物語った。

村尾「最後は(あまり喜ばず)やり切ったなと。最初に組んだ感覚としては、これは一発で投げたり、運良く転がしたりすることは期待できないと思った。強くて、きつかった。でも、試合をしながら(突破口を)探って。連覇が自分の代で途切れてしまうことも頭をよぎったけど、主将として負けるわけにはいかないなと。普段はしないけど、受けには自信があるし、試合をしながら崩した。最後は大外刈りをずらして、すかせば、はまる気がした」

相手は体重無差別の全日本王者という、近年の学生柔道界にはない逆境だったが、主将の意地と「練習の方がきつい」と培った心身の強さで体格差を埋めた。

東海大の上水研一朗監督も驚くしかない。「夢物語でも厳しいと思っていた。三四郎も強いとは言っても90キロ級で、相手は全日本チャンピオン。この展開は1%も考えていなかった。正直、諦めの境地だったが、三四郎は諦めず、ひっくり返した。たいした男だ」。14年までの7連覇に王手をかける、2度目の6連覇に導いた村尾に最敬礼した。

OBで00年シドニー五輪(オリンピック)男子100キロ級金メダリスト、前男子日本代表監督の井上康生氏も「歴史に残るような試合。毎年いろんなドラマもあり、私も代表戦に出させていただいたこともありますが、今年はシビれた。柔道の面白さ、魅力を再確認させていただいた」と賛辞を惜しまなかった。同じくOBで昨夏の東京五輪の同級で金メダルを手にしたウルフ・アロンも「感動しました」と握手でたたえた。

6年連続26度目の優勝を成し遂げ、数々の五輪金メダリストを輩出した東海大の中でも伝説の1人になった。「忘れられない、心に残る試合になりました」。国内外で優勝も初戦敗退も経験し、浮沈を繰り返してきたホープが2年後のパリ五輪へ、殻を破った音が聞こえるような勝利を学生柔道史に刻んだ。【木下淳】