フィギュアスケートの羽生結弦選手が、頭部を負傷しながら強行出場したことが話題になっている。アスリートとしての不屈の姿を称賛する声が上がる一方で、危険の伴う行動でもあったことには間違いない。今回のことは「感動した」で終わらせていいものだろうか?

 日刊スポーツの人気コラム「爲末大学」を執筆する為末大氏(36)が、寄稿した。

 コンタクトスポーツではないフィギュアスケートの現場では、脳振とうの危険性を認識していなかったのかもしれないが、脳振とう後の演技は、命にかかわるほどの危険がある。

 例えば、国際ラグビー協会のガイドラインでは「脳振とうの疑いがあるアスリートは、すべて適切な救急対応の手順に従ってただちにプレーをやめさせること」とある。短期間に2度目の脳への衝撃があった場合「セカンドインパクト」といって、致死率50%とも言われるような危険があるからだ。

 そして脳振とうが疑われる症状としては「起き上がるのに時間がかかる」「足元がふらつく」とある。羽生選手の衝突後に認められる様子も、これに当てはまるように見える。

 スポーツの現場においてケガはつきものだし、またケガを押して競技をすることはトップアスリートならある程度、仕方がない。けれども今回のように頭部への衝撃が認められる場合、最悪なら死が待っている。これは絶対に避けなければならないだろう。

 羽生選手が演技すると決めた瞬間、頭では危ないとわかっていても心の内側で心動かされるものがあった。選手が厳しい状況の中で挑もうとする姿は私たちの胸を打つ。感動には冷静ではいられないほど、あらがいがたい魅力がある。そして感動はビジネスになる。

 頂点を目指す選手の心境は普通の状態ではない。極めるためなら何でもするという思いですらいる。ゆえにトップアスリートは素晴らしいプレーをして感動を呼ぶのだけれど、一方で選手自身が自分の身や将来すら顧みず、ひたすらに突っ走ってしまうこともある。

 だからこそ、スポーツの現場では強制的にでも、選手の将来に危険がある時は中止させるべきだと思う。メディアも正しい知識を伝え、抑制的であるべきだ。選手は限界の先まで行きたい。視聴者も感動したい。それらが加速して行き着くところまでいった先で、危険にさらされるのは選手自身ではないだろうか。

 脳振とうに関するガイドラインにこう書いてある。

 「プレーヤーを最優先」

 選手の未来より優先すべきことはない。(為末大)