ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会が今月20日、日本-ロシア(東京・味スタ)で開幕する。6月に日本ラグビー協会新会長に就任した森重隆氏(67)が、現役時代に所属した新日鉄釜石の先輩で、前身の富士鉄釜石から阪急ブレーブス入りした山田久志氏(71=日刊スポーツ評論家)と対談。旧知の2人が、釜石への思いをはじめ、21年秋発足を目指すプロリーグ、人気向上、ファン開拓について語り合った。【取材・構成=寺尾博和編集委員、松本航】

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山田氏 久しぶり、森会長! 就任1カ月前の5月に「会長になるかも」と電話をもらってから、ずっと気になっていました。

森会長 「会長」って言うのやめてくれませんか(笑い)。初めてお会いしてから約40年のお付き合いだから、「重隆」でいいですよ。

山田氏 それにしてもよぉ飲んだよね。(森会長出身の)福岡で誘ったら絶対に来るもんね(笑い)。ほんと律義な男だから。酒を飲んだり、ゴルフをやると人間が分かる。会長は人材を見抜く能力がたけているもん。ただ、重責だよね。

森会長 ええ。まずはW杯の開催都市を札幌から回りました。日本代表戦(7月27日フィジー戦)で釜石にも行きましたよ。関係者に「新幹線の新花巻駅まで迎えに行きます」って言われたけど、昔の原風景を見たかったから断ったんです。釜石線に揺られて2時間ほどの旅です。そこで隣の80歳ぐらいのおじいちゃんに声をかけられてサインしたんですが、よくよく話を聞くとチケットがないのに、青森から来たみたいなんです。チケットがないのは入手する説明書きに「ダウンロード」という文字を見て「あぁ、ダメだ」ってなったらしい。でも「こういう人たちにラグビー界は支えられているんだな」と実感できたのは、本当にいい経験でした。

山田氏 お互い釜石が懐かしいよな。我々の野球部に比べたら、ラグビー部の環境は劣悪だった。プロ入り後も、ラグビーの日本選手権で大漁旗を見ると、ジーンときた。「あぁ~釜石だ」って。わが町の代表なんだよ。東日本大震災で津波に見舞われ、1カ月半後に現地に行った時は、釜石の駅前で立ちすくんだ。あの悲惨な光景を目の当たりにしたら、古き良き時代が脳裏を巡って、正直「来ないほうが良かったかも」と感じたもんね。

森会長 そんな釜石の鵜住居(うのすまい)町にスタジアムができたんですよ。あそこも津波で全て流された場所。フィジー戦では森(喜朗=前名誉会長)さんが、涙ながらにスピーチされたのに感動しました。

山田氏 あそこに建設したのは釜石のパワーだ。ぜひ、W杯を成功させてほしいよね。

森会長 やっぱり日本代表が勝つことですよ。史上初のベスト8。可能性はあると思っているんですよ。「4年に一度じゃない。一生に一度だ。」というコピーがあるんですが、それでは小さい子どもたちに夢がないでしょ。また何年か先に、日本で開催するぐらいの強い姿勢でいるんです。

山田氏 世界的イベントで盛り上がっても「その祭りの後は、どないするんや?」っていうところだね。

森会長 はい。「秋風が吹かないように」が合言葉なんです。例えば、イングランド協会って職員が300人ぐらいですが、日本協会は70人です。その規模をもう少し大きくしたい。今はプロと社員選手が交じっている「トップリーグ」ですが、21年からはプロリーグを目指しています。ラグビーは1チームで50人ぐらいの規模。それを維持していくために、どうやって運営資金を稼ぐかは、一番の難題なんです。

山田氏 ラグビーのプロ化は難しそうだ。集客力など課題は山積だが、野球が根付いているのを考えると、ラグビー界がやるべきは「地域密着型」の経営じゃないのかな。プロ野球でいう「広島方式」だよ。関東からカープ女子を地元広島に呼んだり、いろいろ奇抜な仕掛けをやってきた。ソフトバンク、日本ハムなど地方での成功例を参考にする手はある。ファン開拓には血を流すべきだし、あとはスター誕生も必須だね。

森会長 清宮(克幸副会長)は「W杯を12都市でやる。そこと一緒にやっていきたい」と意気込んでいます。W杯は必ず盛り上がるけど「その後」が大切ですから、こちらから積極的に動いていくつもりです。

山田氏 野球とラグビーが似ているのは、ボールではなく、人が入って点数になるところだと思う。会長のすごいところも人脈です。これほどネットワークがある人物は、なかなかいない。日本の底力に期待しています。ベスト8といわず、世界一を目指して頑張ってください。