1989年(平元)夏、仙台育英(宮城)は決勝で延長10回の末、帝京(東京)に0-2で敗れた。全6試合で完投したエース右腕の大越基氏(43=山口・早鞆高校野球部監督)は、その試合の後悔を今でも胸に刻む。

89年、甲子園で力投する仙台育英の大越基
89年、甲子園で力投する仙台育英の大越基

 決勝の朝。大越は体を起こすと、ひどい疲労を感じた。前日の準決勝は延長10回167球完投。調子が悪く、ブルペンでも投げ込んだため、合わせて約300球は投げていた。2回戦から4連投目。試合前のブルペンで体が言うことを聞かず、球はすっぽ抜ける。竹田利秋監督と一言も話さず、マウンドに上がった。

89年甲子園でのスコア
89年甲子園でのスコア

 1回表。ストライクが入らず3球ボール。4球目。ストライクが入ると満員の甲子園球場から大声援が湧き起こった。

 大越 まるで勝ったかのような声。それでエネルギーをもらって三振を取れたんです。あの1球で、自分を受け止めてもらった気がしました。

 気力で投げ続けたが、4回から肘が痛み始める。

 大越 1球1球、鈍痛です。体に力が入らない。「勝ちたい」という強い意志じゃなく、「早く休みたい」と思いながら投げていました。

 0-0で迎えた9回裏、仙台育英が2死三塁のサヨナラのチャンスを得る。だが2番茂木武が凡退。3番大越はネクストで肩を落とした。

 大越 もうマウンドに行って投げたくない、という気持ちだったんです。そこで気持ちが切り替えられなかった…。

 10回表、帝京先頭の9番井村にポテンヒットを許し、次は四球。犠打で1死二、三塁とされ、3番鹿野に決勝タイムリーを許した。「終わった…」という安心で涙は出ない。だが、ベンチに帰り、竹田監督からの言葉で涙があふれた。

 大越 「お疲れさん。お前のおかげでここまで来られた」と言われたんです。今でも思い出すと涙が出ます。竹田先生にこんなことを言わせるなら、もっと気力を振り絞れば良かった、と。

 さらに竹田監督からは「マウンドの土を取ってこい」と言われた。ふた握りの土を右ポケットに入れ持ち帰り、仙台育英のブルペンにまいた。

 大越 本当は(マウンドの土は)取っちゃいけないんじゃないかな(笑い)。監督になってみて分かるけど、あれが本当の優しさなんだと思います。

 高校卒業後、早大、米マイナーリーグを経て、93年から03年までダイエーでプレー。引退後に教員資格を取得し、07年から山口・早鞆高の保健体育教諭となった。09年から野球部監督となり、12年春には同校初の甲子園出場を果たした。早鞆に赴任し今年で9年目。西日本から、東北の高校野球を見つめる。

12年1月、元ダイエーの早鞆大越基監督
12年1月、元ダイエーの早鞆大越基監督

 大越 今年のセンバツの仙台育英-敦賀気比戦を最初から最後まで見てびっくりしました。あれが高校野球の最先端。昔は西に負けるな、雪国のハンディとか言われていたけど、今は東と西が逆になってきている。

 自分があの時優勝していれば。その気持ちがずっとある。

 大越 小骨がのどにひっかかったような感じです。優勝していれば、もしかしたら2、3校と続いていたかもしれない。自分としては早く(東北勢に)優勝してほしいです。本当は監督で優勝して、自分で自分の骨を取るのが格好いいんでしょうけどね。(敬称略)【高場泉穂】