<ノア・東京大会>◇01年4月15日◇東京・有明コロシアム◇GHCヘビー級初代王者決定トーナメント決勝◇観衆1万2000人

 三沢光晴(38)が、GHC初代王座を戴冠した。決勝の高山善広(34=フリー)戦は、15分すぎに蹴りを浴びてアゴから流血する大苦戦。それでも原爆固め2発に猛虎原爆固めまではねのけ、最後はエルボー6連発からのエメラルド・フロウジョンで3カウントを聞いた。ノア最強の座に就いたことで、18日のZERO-ONE東京・日本武道館大会への三沢参戦が急浮上。GHC初代王者のプライドを胸に、小川直也(33=UFO)の前に立ちはだかる可能性が高くなった。

 

 ベルトはきつめに、締め直した。肌で、その感触を確かめたかった。「重いッスね。(今までで)一番うれしいです」。愛着のある全日本を飛び出した。ノアを旗揚げした。新団体のリング上で、主役は秋山ら若手に奪われた。その中で新設したベルト。トーナメントでは、厳しい戦いを強いられた。決勝では、高山の蹴りにアゴから流血した。それでもレスラー三沢光晴の存在価値を証明するために、最後までだれにも3カウントは許さなかった。

 両腕、首筋、胸板、背中。いたるところに高山の強烈な蹴りの傷あとが残った。原爆固めで2度、高山初公開の猛虎原爆固めで1度、2メートルの高さから真っ逆さまに落とされた。だが、負けない。15分すぎにアゴから流血すると同時にラッシュ。左ヒジへの集中攻撃から猛虎ドライバー2連発をたたき込む。さらに20分すぎには前で、後ろで、ワンツーで、回転して、そして走り込んでとエルボー6連発。最後はエメラルド・フロウジョンで、黄金に輝くベルトをたぐりよせた。

 「レスラー三沢光晴ここにあり、を見せたい」。そう誓ってトーナメントに臨んだ。選手としての立場を貫くために、このシリーズはマッチメークにも関与しなかった。3月18日、開幕戦でのベルトお披露目会見では「ベルトの前ではオレもただの選手。会見には同席しない方がいい」とも話していた。自分で誕生させたベルトを実力だけで腰に巻くことで、もう1度選手としての輝きを取り戻すつもりだった。

 その目的を果たし、三沢は言った。「レスラーとしてはまだまだだな。もっともっと頑張らないと。まだいけると思ってるしね」。全盛期は、限界はまだ先にある。そう信じていれば三沢はきっと18日、GHC王者として小川が待ち構えるZERO-ONEのリングの上に立つ。【永井孝昌】(2001年4月16日付紙面から)