元WBA世界フライ級王者の坂田健史(30=協栄)が13日、都内の協栄ジムで現役引退を発表した。昨年9月に同級王者の亀田大毅(亀田)に挑み、判定負けした後、進退を保留していたが、「体の衰えを自覚した。これ以上戦えない」と決断した。4月から専大2部(夜間部)商学部マーケティング学科に進学予定。同ジムの金平桂一郎会長(45)からは後継者に指名されており、早くも「経営者の卵」として第2の人生を踏み出す。引退セレモニーは3月14日、東京・後楽園ホールで行う。

 完全燃焼したボクサー人生に、悔いはなかった。金平会長と大竹マネジャーとともに会見に臨んだ坂田は「約3カ月半、自分の進退について悩んできましたが、自分なりにしっかり結論を出しました。現役を引退します」とひと息に言い放った。涙はない。時折笑みさえ浮かべていた。

 昨年9月の亀田大戦の敗戦が決意を促した。「かわしたと思ったパンチを被弾し、自分の感覚とずれている。自分のボクシングは気持ちと体力が支え。それができなくなった以上、戦えない」。

 その後もジムで体を動かしたが、「悩んでいるうちに、選択肢を広げたい」と専大を受験。ボクシング人生を振り返った論文と面接を経て、合格通知を手にした。「昼間は家族を養うために働いて、夜は通学したい」と話した。

 07年3月に4度目の挑戦で世界王座を奪取し、08年12月の王座陥落まで4度防衛。連打と旺盛なスタミナで一時代を築いたが、思い出の一戦には、世界初挑戦した04年6月のロレンソ・パーラ(ベネズエラ)戦を挙げた。判定負けを喫したが、顎を骨折する重傷を負いながらも、12回を戦い抜いた。「世界を味わい、自信にもなった」と振り返った。

 11日に金平会長と食事をともにした際に「協栄ジムの後継者」として指名を受けた。先代会長・正紀氏の最後の弟子と言われてきただけに「うれしいです。自分がやってきたことを広めていければ」とこのときばかりは声を詰まらせた。金平会長は「強いだけじゃない。人間性が素晴らしく、苦労もした。坂田なら父親も納得するでしょう」と期待した。

 先代の命日にあたる3月14日に、引退興行でエキシビションマッチを行う予定。トランクス姿で10カウントを全身で浴び、リングに別れを告げる。【山下健二郎】