<プロボクシング:日本ヘビー級王座決定戦10回戦>◇25日◇東京・後楽園ホール◇1280人
元K-1戦士京太郎が見事なTKOで、56年ぶりの日本ヘビー級王座に輝いた。同級1位藤本京太郎(27=角海老宝石)が、ウガンダ出身の同級2位オケロ・ピーター(41=緑)と対戦。世界挑戦経験者からダウンを奪い、6回2分59秒TKO勝ちした。ボクサー転向から3年目、K-1同級王座に続いて2本目のベルトをつかんだ。
6回に藤本の左右フックが顔面にヒットした。ジャブのさぐり合いに「打ち合え」のやじ。藤本も「最後までポイント狙い」という試合だったが一変。ぐらついたところへ右ストレートでダウンを奪う。オケロが立ち上がってくると、連打から右フックで大の字に。レフェリーストップで文句のないTKO勝ちとなり、56年ぶりの2代目日本王者に輝いた。
藤本も大の字になって喜びを爆発させた。リング上では涙。「30戦ぐらいやってきて、一番しんどかった。一番うれしい。報道陣もいっぱい来てくれ、テレビにも出られる」とまくしたてた。
オケロは7年前ながら、WBCで世界挑戦経験ある大ベテランだった。劣勢にも日本代表の意地があった。髪は右を金、左を赤くし、金地に日の丸を示す赤丸も染めた。「ウガンダ人には勝たせたくなかった。日本を背負っていた」と胸を張った。
昨年大みそかに東洋太平洋王座挑戦も5回KO負け。その後は米ラスベガス修行に行かせてもらい、新たに積田トレーナーの元でも鍛えられた。「逃げ回らず、前に出ていたのでチャンスがあった。KOしたのは大きい。本物かは次が大事」とお褒めの言葉をいただいた。
100キロを超える対決はリングを狭く感じさせた。半世紀前のタイトル戦は両者80キロ前後で、現在ならクルーザー級ギリギリ。真のヘビー級タイトル戦実現とも言えた。初防衛戦はオケロと同門の竹原が相手となるが、ランカーはたった4人とまだまだ層は薄い。
それでも藤本の腰には、K-1に続く新品の2本目のベルトが巻かれた。「首の皮がつながった。次は絶対に負けられない。東洋をとらないと引退できない。ヘビー級のすごさを伝えていきたい」。日本にヘビー級を定着させる使命も背負う。【河合香】
◆藤本京太郎(ふじもと・きょうたろう)1986年(昭61)6月23日、大阪市生まれ。キックボクサーとなり、07年にK-1トライアウト合格。09年にK-1第2代ヘビー級トーナメントを制し、日本初の重量級王者に。アーツにKO勝ちで防衛1回。11年にプロボクサーデビュー。183センチの右ボクサー。<日本のヘビー級史>
◆創成期
1954年(昭29)に不二ジム岡本不二会長が角界から片岡ら10人をスカウト。57年に初の日本王座決定戦を開催し、片岡が中越に判定で初代王者についた。挑戦者が現れず、58年に王座保留扱いで消滅した。
◆化けの皮
73年にフォアマン(米国)が日本初の世界戦に勝利。その後に育成計画で公募に、バレーボール出身のコング斉藤が名乗り。米国で5連続KOで78年に帰国も、ミドル級長岡にあっけなくKO負け。
◆タイソン明暗
88年に東京ドームでタイソン(米国)が2回KO勝ち。90年にも日本で2戦目となるが、10回KOで初黒星を喫して王座から陥落した。
◆洋介山
西島洋介山が日本人唯一を売りに92年プロデビュー。丸刈り、唐草模様トランクス、地下足袋、異色特訓で話題も、実質はクルーザー級だった。東洋太平洋同級王座につくも格闘家に転向した。
◆オーディション
相模原ヨネクラジムが94年にオーディションを開催した。未経験を含めて6人を採用。米国修行などもしたが、大半が早々に引退した。
◆初挑戦
オケロが01年に再挑戦で東洋太平洋王座を獲得した。05年の8度目の防衛戦で、高橋が日本人初の王座挑戦も3回KO負けを喫した。

