全日本プロレスが、故ジャイアント馬場さんゆかりの地で再スタートを切った。4日、東京・永田町のザ・キャピトルホテル東急で新会社設立会見を行った。ケーブルテレビ山形などが出資する「全日本プロレスイノベーション」を親会社に、「オールジャパン・プロレスリング」が運営を担い、秋山準(44)が両社の社長に就任した。生前、馬場さんが会見などに利用した同ホテルで、秋山は馬場イズム回帰を宣言した。

 ジャイアント馬場回帰を目指す秋山が、真っ先に手掛けたのは元オーナーで馬場さんを支えた元子夫人(74)の団体への復帰だった。秋山は運営会社オールジャパン・プロレスリングの相談役に元子氏を据えた。前オーナーの白石伸生氏と新団体設立へ向けての交渉をする際、何かと相談したのが元子氏だった。

 「新会社が設立できたので、元子さんには相談役として入っていただきたいとお願いしました。社長としての経験がないので、馬場さんのやりかたなどを伺っていきたい」と説明した。元子氏から、これまで通り練習場と事務所を提供される。さらに、親会社の全日本プロレスイノベーション設立へ支援企業との橋渡しもしてもらった。

 元子氏の全日本復帰は、02年に武藤敬司社長に株式の85%を無償譲渡し、オーナーから退いて以来。12年ぶりにプロレスの世界に戻った元子氏は「秋山さんは馬場の息子として、彼の考えで彼流のやり方でやればいい。ヘルプできることはしてあげたい」と話した。

 22年前、秋山が初めて馬場さんに会ったのが当時のキャピトル東急(現在のザ・キャピトルホテル東急)で、馬場さんは生前、記者会見のたびに使っていた。「その場所で会見するのは何か運命的なものを感じる。馬場さんの教えは僕の中にしっかり残っています」と秋山は言った。

 今後は新生全日本を、新日本と2大メジャーを誇っていた時代に戻す目標がある。3冠王者諏訪魔を取締役専務に据え、リングの充実も図っていく。設立趣意書では目標としてプロレス界の「天下布武」を掲げた。それは、日本のプロレス界の黄金期を築いたジャイアント馬場さんへの、秋山なりの約束でもあった。12日、大阪大会(大阪ボディメーカーコロシアム)が、秋山全日本のスタートとなる。【桝田朗】

 ◆全日本プロレス

 (株)全日本プロレスイノベーションが親会社で、通信放送やグッズ、ファンクラブ、ゲームキャラクターなどの企画・運営を行うコンテンツ会社の位置付け。同社は山形市のケーブルテレビ山形内に本社を置き、ゲームメーカーや広告代理店、芸能プロダクションなどが株主になっている。オールジャパン・プロレスリングは興行部門を担当する全日本プロレスイノベーションの完全子会社で、本社は横浜市。

 ◆全日本プロレス経過メモ

 1972年7月、日本プロレスを退団したジャイアント馬場が設立。99年1月に馬場の死去に伴い三沢光晴が同5月に就任。その後、馬場の元子夫人との間に路線の対立が起こり、00年6月に三沢が解任され、三沢以下26選手が離脱し「ノア」設立。選手2人となった全日本を、武藤が積極的に支援。02年2月に新日本を退団して加入すると、同年9月に社長に就任。12年11月に白石オーナー率いるスピードパートナーズが全日本の株100%を買収も、武藤らが反発し大量離脱。14年7月に秋山が新会社を設立し全日本プロレス・イノベーションとして再スタート。