大関豪栄道(30=境川)が平幕玉鷲を寄り切りで下し、14連勝で涙の初優勝を決めた。30歳5カ月は年長5位、幕内在位54場所は4位のスロー記録(いずれも年6場所制が定着した58年以降)。大関昇進後は度重なる故障に泣き、先場所まで勝率5割2分と低迷したが、持ち前の勝負強さで汚名返上に成功。九州場所(11月13日初日、福岡国際センター)が初めての綱とりになる。

 抑えていた感情があふれた。まばたきすると、豪栄道のまぶたから熱いしずくがこぼれ落ちた。「なかなか思い通りに行かないことが多くて、つらい日もあったんですが、今日で少し報われました。うれしい涙です」。大関13場所で4度目のかど番が一転、つかんだ初優勝。「いろいろあったけど辛抱して良かった」。30歳の言葉に実感がこもった。

 14連勝目も、力強かった。「昨日の夜は緊張して、初めて一睡もできなかった」。のしかかる重圧の中で、心掛けたことは1つ。「右を差す自分の相撲を、一生懸命取る」。言葉通りの右差しで玉鷲を浮かすと、一気に寄り切った。

 体を突き動かした原動力。それは「やっぱり悔しさが一番ですよ」と言った。6年前、野球賭博に関与し、名古屋場所を謹慎休場。部屋の敷地内から出られず、親しい知人には「クビになるのかな」と漏らした。好きな相撲ができないつらさに、泣けてきた。謹慎明けで、待ってたのは地元大阪でのおわび行脚。現在約500人いる後援会員も、当時は200人に激減。「相撲でしか、返せない」。見捨てずに残った後援者のため、ぐっと涙をこらえた。

 2度目のドン底は、2年前から始まった。念願の大関昇進を決めた名古屋で左膝半月板を損傷。その後も両肩など3度骨折した。昇進祝賀会は、激励会に名称変更。「情けない感じになりました」。唇をかみ、またも後援者に頭を下げた。

 部屋には、心ないファンから大関非難の電話もあった。後援会関係者は「受話器を取ったおかみさんは、涙を流したそうだ」と明かす。入門した18歳から、優しく接してくれた母親代わりの恩人まで苦しませた。今年春場所も、前半で右太ももを肉離れ。そんきょもできず病院をハシゴした。痛み止めを1日5本打ってでも土俵に立ち続けた。

 苦難の日々も「無駄な経験じゃなかった」と言う。体を立て直すため、栃木まで出向き気功師にも頼った。今場所から新たにトレーナーを増やし2人態勢でケア。万全な状態に戻した。土俵では決して引かず、前に出た。「親方、おかみさん、心配かけた人がたくさんいるので。結果で応えたかった」。悔しさ、屈辱のすべてをやっと晴らした。

 先場所まで大関での勝率5割2分だった男が、次の九州場所は一気に綱とりになった。「いや、まだ何も。ちょっとは余韻に浸らせてください」と話すと、ようやく笑みがこぼれた。右肩上がりの勢いに自信が備われば、綱も夢ではない。【木村有三】