日本テレビ系「笑点」(日曜午後5時半)の5代目司会者桂歌丸(79)が、22日の生放送で大喜利司会者を退いた。あわせて6代目司会者に春風亭昇太(56)を指名した。

 1966年(昭41)にスタートした長寿番組の歴代司会者と歴史を振り返る。 

 

初代司会者 立川談志 66年5月15日~

落語を演じる立川談志(写真は1965年)
落語を演じる立川談志(写真は1965年)

 

2代目司会者 前田武彦 69年11月9日~

前田武彦(右)。左は大橋巨泉(写真は1969年10月)
前田武彦(右)。左は大橋巨泉(写真は1969年10月)

 

3代目司会者 初代三波伸介 70年12月20日~

初代三波伸介(写真は1973年)
初代三波伸介(写真は1973年)

 

4代目司会者 5代目三遊亭円楽 83年1月9日~

前列左から林家木久蔵、三遊亭円楽、桂歌丸、後列左から山田隆夫、三遊亭楽太郎、三遊亭好楽、三遊亭小遊三、林家たい平、春風亭昇太(写真は2006年04月)
前列左から林家木久蔵、三遊亭円楽、桂歌丸、後列左から山田隆夫、三遊亭楽太郎、三遊亭好楽、三遊亭小遊三、林家たい平、春風亭昇太(写真は2006年04月)

 

5代目司会者 桂歌丸 06年5月21日~

前列左から林家木久扇、桂歌丸、三遊亭好楽、後列左から林家たい平、三遊亭円楽、三遊亭小遊三、春風亭昇太、山田隆夫(写真は2015年8月)
前列左から林家木久扇、桂歌丸、三遊亭好楽、後列左から林家たい平、三遊亭円楽、三遊亭小遊三、春風亭昇太、山田隆夫(写真は2015年8月)

 

司会代理に愛川欽也らも

「笑点」の司会代理を務める愛川欽也(左)。右から三遊亭楽太郎、三遊亭好楽、桂歌丸(写真は1982年12月)
「笑点」の司会代理を務める愛川欽也(左)。右から三遊亭楽太郎、三遊亭好楽、桂歌丸(写真は1982年12月)

6代目司会者 春風亭昇太

春風亭昇太
春風亭昇太

笑点年表

 ▼1966年(昭41)5月15日 立川談志の司会で、毎週日曜午後4時半~5時10分の枠でスタート。「演芸」「談志とゲストの対談」「大喜利」の3部構成。司会と大喜利レギュラーの平均年齢28歳。真打ちは談志と円楽だけで、あとの4人は二つ目だった

 【大喜利レギュラー】5代目三遊亭円楽(故人)、桂歌丸、柳亭小痴楽(のち春風亭梅橋、故人)三遊亭金遊(のち小円遊、故人)、林家こん平

 座布団係は三升家勝松(現桂文字助)

 ▼67年1月 座布団係が石井伊吉(毒蝮三太夫)に交代

 ▼68年5月 放送時間が午後5時20分~6時に変更

 ▼69年4月 談志とメンバーの演出方針が異なり、メンバーが全員交代

 【同】柳家かゑる(現鈴々舎馬風)、三升家勝二(現三升家小勝)、柳家さん吉、三遊亭好生(のち春風亭一柳、故人)、春風亭栄橋

 ▼69年11月 司会が談志から前田武彦に交代し、出演者も大幅に変更。現在も親しまれるオープニング曲「笑点のテーマ」(作曲中村八大)が登場

 【同】三遊亭歌奴(現三遊亭円歌)、三遊亭金馬、歌丸、小円遊、勝二、柳家さん吉、柳家小きん(のち柳家つば女、故人)、林家木久蔵

 座布団係 三遊亭笑遊(現三遊亭円遊)に交代

 ▼70年6月 大喜利レギュラーが変更

 【同】円楽、歌丸、小円遊、三遊亭円窓、小きん、木久蔵

 座布団係も桂米助とアイドル小野千春に交代

 ▼同12月 司会が三波伸介に交代

 ▼71年7月 座布団係が松崎真に交代。「手をあげて。横断歩道を渡りましょう」のあいさつでおなじみに

 ▼72年7月 小きんが卒業し、こん平が復帰

 ▼73年8月 日本テレビ開局20周年特番で「笑点まつり」を放送。浅草寺で古座布団供養。その後、メンバーがおいらんにふんし仲見世を練り歩き、境内で大喜利

 ▼同10月 歴代最高視聴率40・5%を記録

 ▼77年 円楽、円窓が続けて卒業。三笑亭夢之助、三遊亭楽太郎が新加入

 ▼78年4月 日本テレビ開局25周年特番で「笑点 亜米利加寄席」を放送。初の海外公演で、パレードにも参加

 ▼79年 夢之助が卒業し、林家九蔵(現三遊亭好楽)が参加

 ▼80年10月 小円遊が急死。古今亭朝次(現桂才賀)が新加入

 ▼82年 三波伸介が急死

 ▼83年1月 正月特番の司会は愛川欽也とこん平

 ▼同1月 円楽が4代目司会者として復帰

 【同】歌丸、こん平、木久蔵、九蔵、楽太郎、朝次

 ▼84年10月 座布団係が山田隆夫に交代

 ▼同10月 好楽が卒業し、三遊亭小遊三が新加入

 ▼88年4月 桂才賀が卒業し、好楽が復帰

 【同】歌丸、こん平、木久蔵、好楽、小遊三、楽太郎

 ▼96年4月 放送時間が午後5時半~6時に変更

 ▼97年4月 30周年を記念して香港で特番を放送

 ▼04年9月 こん平が病気・治療のため休演。「若手大喜利」の代役争奪戦の結果、12月から林家たい平が代役参加

 ▼05年10月 司会の円楽が病気・治療のため休演。司会は歌丸らレギュラーが交代で務める

 ▼06年3月 司会の円楽が案内人として復帰。司会は歌丸が代役で続行

 ▼同年5月 歌丸が5代目司会に。代役参加のたい平が正式メンバーとなり、春風亭昇太が加入

 【同】小遊三、好楽、木久蔵、昇太、楽太郎、たい平

 ▼07年9月 林家木久蔵が林家木久扇へ改名

 ▼09年10月 三遊亭円楽が死去

 ▼10年3月 三遊亭楽太郎が6代目三遊亭円楽襲名