大相撲元横綱千代の富士の九重親方の訃報が伝わった7月31日、各界の友人も悲しんだ。同じ北海道出身で親交が深い松山千春(60)も深い悲しみにくれた。

 同じ1955年(昭30)生まれで、同じ北海道出身の松山は、早過ぎる別れを悔やんだ。訃報を知ると「ショックです。生き急いだのかなあ」と悲しんだ。「貢とは同じ北海道。西と東の違いはありますが、同い年でもありましたから。この年になって、お互いそれぞれの業界でリーダーシップを取っていかなければならないなと思っていたんですが」とコメントした。

 この日夜に生出演したラジオでも思い出を語った。国民栄誉賞の受賞が決まった時に「おい、千春。俺がこんな賞をもらっていいのかな」と相談され「俺たちの周りで国民栄誉賞をもらえるやつなんて、おまえくらいしかいない」と答えたという。

 札幌・すすきので飲んだ時は、待ち合わせの1時間前に先に店にいて「俺は松山千春が嫌いなんだ。あいつだけは許せない」と店の女の子たちに伝え、松山が店に着くと九重親方はプイッと不機嫌な顔をするので「女の子たちはどうしたらいいのかって、ワサワサする。おまえ、バカじゃないの、そんなことして何が楽しいのよって」。九重親方のちゃめっけあるいたずらを懐かしんだ。

 「最高のやつだった。悔しくてたまらないよ。同い年の中で貢が先に死ぬなんてもったいない。おまえの冥福は祈らない。おまえの記録、相撲、俺ら仲間の中に残っているから」。松山らしい言い回しで親友の死を悼んだ。

 報道各社に送付した文書に「思い出を大切にしていきたいと思います。残された家族が心配ですが、俺で力になれることがあれば協力させていただきます」とつづっていた。