コント55号の坂上二郎さんの相方でタレント萩本欽一(69)は10日、テレビの収録先の富山から帰京し、東京・羽田空港で会見した。萩本はこの日の午後3時ごろ、移動中の車でスタッフから悲報を聞き、その直後に車内のラジオで死去のニュースを聞いた。悲しみの中、声を絞って二郎さんとの思い出を振り返った。-(訃報を)どこでお聞きになったんですか

 萩本

 移動の車に電話が来て「実は二郎さんが」と。電話かけてきた人も絶句していて。そしたらラジオのニュースで「二郎さんが」と言うんで…むしろそれで聞いたんですけど。-出会いは

 萩本

 二郎さんが僕に声をかけたわけで…だから55の幕を開けて、1人で55を幕を閉めてっちゃった…僕を置いて。ケンカしたことないの。コンビってケンカするから、二郎さんとあまり会ったり、話したりしなかったの。僕は、二郎さんに泣かされたのが3回。-どんな状況ですか

 萩本

 50の時に久しぶりにコントをやり終えたら「僕ね欽ちゃんと離れていろいろ仕事はしたけど、笑いをやったことない。オレ、欽ちゃんで笑いが出来たんだなぁ」って言われた。オレ「今死んだら泣くぜ」って言ったら、「欽ちゃんより長生きするから、その言葉は当てはまらない」って。あのときね「二郎さんとやってて良かった」って初めて少し好きになったの。それまで20年かかった。その次が(二郎さんが)病気したとき。リハビリやらないって聞いて、奥さんが「欽ちゃんが電話したら、うちの人はやるわよ」って。だから電話したの。「何があっても舞台に出る。遊園地行こう。観覧車で待ってる」って言ったら、奥さんから「朝から『散歩行くぞ』ってやってる。忙しいんで、としまえんは行けないって言って」って電話があって。ジョークが伝わった、55号は忘れないんだってね。-もう1回は

 萩本

 2年前に舞台に出たら「僕の病気はお客さんの拍手で治った。元気になった」って。小さい声で「お客さんありがとう」って言った後、「欽ちゃんも」と誰にも聞こえないように恥ずかしそうに言った。あれも泣かされた。-泣くのは今日で4回目

 萩本

 テレビの前で泣きたくはない。二郎さんは僕だけのもんだから、帰ってからお空の方見て「二郎さんありがとね」って…ひとりで泣かせてもらいます。-萩本さんにとって、二郎さんの存在は

 萩本

 恩人であり、僕の楽しい笑い人生を作ってくれた人。7つ上なんだけど、いつも同じ年齢の付き合いをしてくれた気のいいおじさん。笑いは貪欲に執念を持って、たとえ1秒でも笑いがあるか探してから、お客さんの前を去る…いろいろなことをくれた人。-二郎さんは、歌手になりたくて東京に出てきたのでは

 萩本

 55号では歌わせないことにしてた。歌うときには、ギャグ絶対言わない。歌手になるから。お客さんがガッカリするんで。-天国に言いたいこと

 萩本

 二郎さんが天国に行ったら、たくさんの方が来て「ありがとう。笑いがすてき」と言ってくれた。お礼言っておくから…二郎さんのためにありがとうございました。二郎さんは「ありがとう」って手を振りながら天国へ行きました。-55号は終わりじゃないですよね

 萩本

 幕、閉まりました。二郎さんがつくってくれた55号は、一緒に天国に持っていきました。でも悔しいから時々「元コント55号の萩本です、欽ちゃんです」って申し訳ないアドリブを飛ばすかも知れません。-コント55号は永遠に不滅ですよね

 萩本

 心の中じゃ不滅ですけど、みなさんにお見せすることは…。こんなに二郎さんを語らせるとさ、二郎さんがいなくなったっていう悲しさが、僕の中でさ…。今日このくらいにさせて。ごめんね。