「家族ゲーム」「失楽園」などで知られる映画監督の森田芳光(もりた・よしみつ)さんが20日午後10時15分、急性肝不全のため都内の病院で急死した。61歳だった。81年にデビュー後、83年「家族ゲーム」での斬新な場面づくりで注目される一方、黒沢明監督の「椿三十郎」をリメークするなど、幅広い作品を世に送り続け、常に次回作が期待される存在だった。通夜は23日、葬儀・告別式は24日に東京・青山葬儀所で営まれる。喪主は妻和子(かずこ)さん。
最新作「僕達急行
A列車で行こう」(12年3月24日公開)の公開を3カ月後に控え、森田さんが急逝した。関係者によると、9月6日から10月19日まで行われたロケ中は元気だったが、最近になって体調が悪化して都内の病院に入院。20日に容体が急変し、同日夜に亡くなったという。
自宅の近隣住民によると、森田さんは約1週間前に1度退院し、ストレッチャーに乗せられて自宅に戻ったが、医師や看護師が出入りする状態が続き、17日ごろに再入院したという。妻の和子さんは周囲に「本人が『周りのみんなに迷惑を掛けたくないから病院に戻りたい』と言って」と、森田さん自ら再入院を希望したと語っていた。
森田さんは約1年前から体調に異変を感じていたが、普通に生活していた。「僕達急行
A列車で行こう」のプロモーションも年明けから始める予定で、配給の東映と話を進めて取材の予定も入れていた。旅行情報サイトでは、プロモーションの一環で「鉄愛エッセイ
鉄道が『少し好きです。』」を連載し、担当者に2月分まで原稿を先渡ししていた。別の関係者によると、来年3月から新作の撮影に入る準備も進め、構想を練り脚本づくりなどを進めていたとみられ、本人すら予期できなかった突然の死だった。
渋谷区円山町で料亭の息子として生まれた森田さんは、浜松町の東宝芸能学校に通い子役として活動していた。その後、進学した日大芸術学部放送学科で映画と出会い、8ミリ映画の撮影にのめり込んだ。卒業後、大宅壮一マスコミ塾で学び、78年の「ライブイン茅ケ崎」がぴあフィルムフェスティバルに入選したことをきっかけに、映画監督の道へと進んだ。
落語がテーマの「の・ようなもの」で81年にデビュー後、さまざまなジャンルで精力的に作品をつくった。横一列に並んで座る食卓の風景が印象的な「家族ゲーム」でブルーリボン賞監督賞、日本アカデミー賞優秀作品賞、優秀監督賞、優秀脚本賞などを受賞。84年の「メイン・テーマ」では、薬師丸ひろ子を主人公にアイドル映画を成功させた。
97年の「失楽園」では中年の男女が不倫した末、心中する結末を美しくエロチックに描き、「失楽園する」という流行語まで生んだ。07年には黒沢明監督の「椿三十郎」を、オリジナルと同じシナリオでリメークするなど常に挑戦を続けた映画人生だった。
◆森田芳光(もりた・よしみつ)1950年(昭25)1月25日、東京都渋谷区生まれ。日大芸術学部在学中から自主映画を撮り、28歳で製作した78年の「ライブイン茅ケ崎」が、第2回ぴあフィルムフェスティバル一般公募部門に入選し注目される。81年に落語家の若者を描いた「の・ようなもの」で監督デビュー。主な作品は「家族ゲーム」(83年)「それから」(85年)「失楽園」(97年)など。03年の「阿修羅のごとく」では、日本アカデミー賞監督賞と日刊スポーツ映画大賞作品賞を受賞。




