もう10年も前の話になる。モリシことC大阪の元日本代表MF森島寛晃(現フットボールオペレーション部部長)は、苦しんでいた。原因不明の首痛を発症。いくつもの病院で診察を受けても、根本的な原因は見つからない。後になって聞いた話だが、カウンセリングに通うほどだったという。07年3月31日の札幌戦以降、試合に出ていない。それどころか、練習場に姿を見せることもなくなった。

 契約社会に生きるプロ選手として、モリシの存在は異色だった。当時、35歳。長期離脱している状況を考えれば、普通の選手なら次のシーズンの契約を保障されることはなかっただろう。だが、クラブのスタッフは口をそろえて言った。「こんな形で(現役生活を)終わってほしくない。J2(当時)のクラブが何を…と思われるかも知れないが、最後はタイトルを取らせたい」。セレッソ番だった私は「これが浪花節か」と感じたものだ。

 モリシは07年シーズン、前述の3月の札幌戦を最後に試合に出ることはなく、翌08年もピッチから遠ざかった。引退を決めた後の08年12月6日のJ2最終節愛媛戦。わずか数分が、最後の勇姿だった。

 C大阪の前身ヤンマー時代から、チームには“情”がある。モリシの例に限らず、西沢、柿谷、杉本、山口…。1度チームを離れて他クラブに移籍した選手も、再び帰ってくる。それはC大阪が常勝クラブになれない理由の1つかも知れないし、一部で批判を受けることもあるだろう。

 今年2月には、スペイン1部セビリアから清武が戻ってきた。獲得に要した移籍金は、日本人選手としては異例の高額だった。それでも玉田社長はこう説明した。

 「本当は断ろうと思った。でも、ヤンマーさんに相談に行ったら『セレッソから(欧州に)羽ばたいた選手。日本の他のクラブでプレーさせるのだけはやめよう』ということになった」

 近い将来、香川も、乾もまた、桜色のユニホームを着る日が訪れるに違いない。C大阪に存在する浪花節。このクラブを長く取材していると、やっぱり大阪は人情の街なのだということを、強く感じることがある。


 ◆益子浩一(ましこ・こういち)1975年(昭50)4月18日、茨城県日立市生まれ。00年に大阪本社入社。サッカーは04年から関西圏クラブを中心に取材。母校・京産大ラグビー部をこよなく愛する。