「やっぱり厳しいですよ」。11月下旬のチューリヒ入り後、W杯日本招致委員会関係者が漏らした。劣勢の予想通り、日本は落選した。

 大会の観客動員数の記録更新を打ち出す米国。カタールとオーストラリアは地域初開催の「大義名分」を掲げた。南北統一への寄与を訴えた韓国。ライバルに比べ、日本の開催意義は乏しく、真剣さの度合いも違った。

 招致の取り組みは2008年12月、当時日本サッカー協会の犬飼基昭会長の主導で始まった。しかし、招致委の立ち上げが遅れた上、委員長は引き受け手がなく、犬飼氏がやむなく就いた。ことし7月、同氏は1期2年で日本協会会長を退任。招致委委員長は後任の小倉純二会長が引き継いだ。招致活動は国民を巻き込むこともなく、日本協会内にさえ、02年大会を招致したときのような盛り上がりの機運はなかった。

 それは招致活動費の額にも表れた。02年大会の招致には総額で約89億円をかけた。今回は短期間だったとはいえ、約9億5000万円。16年夏季五輪の招致で敗れた東京都の五輪招致委員会は約150億円だった。

 50年までにもう一度、しかも単独でW杯を開催するという目標を掲げて「05年宣言」をした日本協会。周到な準備をすることなく走りだし、そのまま敗れ去った。(チューリヒ共同)