苦節10年…苦労人の目から、うれし涙がこぼれ落ちた。川崎FのDF寺田周平が32歳で代表に初選出された。「まだ信じられない。吉報をいただいて…まさか、こういう時が来るとは想像もしていなかった」。あふれるおえつを抑えることができず、男泣きした。

 涙の裏には苦難のサッカー人生があった。東海大2、4年時にユニバーシアードに出場し、卒業後の横浜入りが決まりかけた。小、中と前身の日産の下部組織に所属した寺田にとって、夢実現まであと1歩だったが、メディカルチェックに引っかかり断念。98年は1年浪人し大学で練習を続け、年末に川崎Fの練習生となり翌99年に入団。J1に昇格した00年に定位置を確保と順調も、5月の磐田戦で左ひざ前十字靱帯(じんたい)を断裂し、完全復帰まで2年2カ月もかかった。

 その後も足の筋肉を痛めるなど故障の連続で、02年は4試合、03年は3試合しかリーグ戦に出られなかった。そんな山あり谷ありのキャリアが04年に関塚監督と出会い一変した。ミーティングでは個人指導のようにしかられ、FW出身の監督に一から守備を教え込まれ再び定位置へ。189センチ、80キロの体で「川崎山脈」と呼ばれるDFラインを、中央で支えるまでになった。

 岡田監督と話したことはなく「W杯はすごい世界。自分が立ったらなんて考えたこともない」と、10年W杯どころか代表のイメージすらない。5月24日のコートジボワール戦に出場すれば、史上4位の32歳336日での初キャップ。「去年から1年勝負でやってきた。こんなチャンス2度とこないかも。積極的にやる」。遅咲きの32歳の胸がときめいた。【村上幸将】