鹿島の元日本代表MF本山雅志(36)が今季限りで退団することが26日、決まった。

 98年の入団以降、同一クラブへの18年連続在籍は、同期のGK曽ケ端準(36)と並ぶJ1史上最長タイ記録。

 02年から鹿島の10番を背負ったファンタジスタが、チームを離れることになった。

 「1年でも長くピッチの上で輝きたい」と現役続行を希望しており、出場機会を増やすため、愛着あるクラブを去る決断をした。来季の所属先は現段階で未定だが、興味を示しているクラブは複数あるという。今季はJ1で6試合139分の出場にとどまっていた。

 本山は東福岡高から98年に鹿島入り。鹿島が誇っている通算17冠のうち、14のタイトル(リーグ6度、ナビスコ杯5度、天皇杯3度)獲得に貢献した。

 日本代表では、99年のワールドユース(現U-20W杯)で史上最高の準優勝に導き、日本からは小野伸二と2人だけベストイレブンに選ばれた。00年のシドニー五輪8強。W杯出場は果たせなかったが、主にスーパーサブとして国際Aマッチ28試合に出た。

 鈴木満常務取締役強化部長(58)は「2、3年前からモト(本山)とは何度も話し合ってきた。鹿島に残れば多くの経験を腐ることなく伝えてくれる存在だが、1年でも長くプレーしたいという本人の思いを尊重した」と説明。今後について「いくつかのクラブが興味は持ってくれているので、できるだけ早く話をまとめて、国内外のクラブからモトが選べるような形にしてあげたい」と話した。

 以下、クラブが発表した本山のコメント全文。

 「高校卒業からプロの世界に飛び込み、鹿島アントラーズという最高の環境で18年もの間、サッカーができたことは本当に幸せでした。試合前の空気、ピッチで戦う誇り、サポーターの声、タイトルの歓喜。今後を考える上で自分のキャリアを振り返った時、いろいろな情景や感情が沸いてきました。しかし、最後にはやはり『まだピッチに立ち続けたい』という気持ちが残りました。試合に出場してチームに貢献したい。プロ選手としてあるべき姿を追い求めたいという願いから、退団を決意しました。ここから新たな挑戦が始まります。これまで、ともに戦ってきたチームやクラブスタッフ、スポンサーや地域の皆さま、そして最愛なるサポーターの皆さんには、本当にお世話になりました。皆さんへの感謝の気持ちを表現しようとしても、言葉ではとても伝えきれません。いつの日か恩返しができるよう、アントラーズで得たものすべてを次の挑戦につなげたいと思います。18年間、素晴らしい経験をありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします」。

 ◆本山雅志(もとやま・まさし)1979年(昭54)6月20日、北九州市生まれ。東福岡高3年時に全国総体、全日本ユース、全国選手権の高校3冠を史上初めて達成。鹿島に入団した98年の7月29日市原(現千葉)戦でデビューし、00年5月6日磐田戦で初得点した。攻撃的MFとしてドリブルとスルーパスを武器に活躍し、「天才」と呼ばれた。J1通算365試合38得点。日本代表は00年6月18日の親善試合ボリビア戦で初出場した。W杯出場は果たせなかったものの、02年の日韓大会や06年ドイツ大会の予選、優勝した04年のアジア杯中国大会などで活躍した。国際Aマッチ通算28試合無得点。175センチ、65キロ。血液型A。