「ハンカチメモリアルスタジアム」。1年後にそう呼ばれる、兵庫の高砂球場でぼくはマウンドに立っていた。弱小校の野球部が奇跡的に4回戦まで進み、背番号10の控え投手が大会初登板。5回にKOされ、夏が終わった。

その夏は甲子園で、あの早実・斎藤と駒大苫小牧・田中が劇的な決勝再試合を演じた。ぼくは受験勉強も忘れて、甲子園まで行き、当日券を買った。帰りの電車を乗り換える三宮で百貨店に寄り、いても立ってもいられず青いハンカチを買った。10月の国体では先述の高砂球場で再び2人が投げ合った。ぼくも端っこの端っこにいた「ハンカチ世代」の1人だった。17日の日本ハム斎藤の引退試合には、なんとも言えない感慨深い思いがあった。

担当するソフトバンクでは、同世代の選手には柳田がいる。柳田も15年前を振り返り「おばあちゃんの家にいて、テレビで見ていた。本当に覚えてますね。みんなはわいわいしてたんですけど、1人で部屋で甲子園を見ていた。一ファンとして、すごい試合をしているなという感じで見ていました」と言う。きっと同学年で野球に触れていた人はみんなそうだったと思う。

そして日本最高打者の1人になった今も、柳田は同世代の活躍に刺激を受けたことを素直に話す。「アマチュア時代はもう、雲の上の存在というか。追いつきたいとかそういう思いもなかった。プロに入って同じ舞台でプレーできるようになってからは、追いつきたいという気持ちでやっています。高卒でも、大卒でも、プロに入った人はみんなプレーが全然違うレベルだと思って見ていた。そういう人のおかげで今、ぼくはプロ野球選手でいられるのかなと思います」。

野球記者になっても、88年生まれが球界を席巻する世代の1つになっていることがなんとも誇らしい。同じ世代として、同じ時間を味わえたことを幸せに思っている。【ソフトバンク担当 山本大地】