激動の大リーグ1年目を終えた藤浪晋太郎投手(29)に7カ月間、密着し続けた男がいた。
関西テレビの服部優陽(ゆうひ)アナウンサー(30)はなぜ休職してまで太平洋を渡ったのか。間近で見続けた“戦友”だけが知る藤浪メジャー挑戦の舞台裏に5回連載で迫った。
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5月12日は当初、アスレチックス藤浪にとって「ノースローデー」となるはずだった。中継ぎ登板した2日前の10日ヤンキース戦で2回1/3を投げており、首脳陣からも前日までに「登板は多分ないよ」と聞かされていた。
当日は本拠地ナイターのレンジャーズ戦。藤浪は練習前の午前中、サンフランシスコ近郊に位置するディアブロ山まで車を走らせていた。気分転換も兼ねて、ネーティブアメリカンの聖地として知られる名峰を満喫。同行した服部アナウンサーは頂上に立った時、5・12が記念日になるとは夢にも想像しなかった。
「自分も球場に行くのをやめようかと迷ったぐらいの試合だったのに、同点に追いついた8回に晋太郎が外野フェンスで壁当てを始めて…。『えっ、まさか投げる気?』と驚きました」
藤浪は結局、タイブレークで2点を勝ち越された直後の延長10回1死一、二塁から緊急登板し、2/3回を無失点と好投。10回裏に味方の逆転サヨナラ3ランが飛び出し、予期せぬ形でメジャー初勝利を手にした。
アスレチックスのコッツェー監督は試合後、「8回にフジが外野の壁にボールをぶつけている姿を見て『今夜も投げられるのか』と確かめたんだ」と内情を明かしている。服部はその夜、藤浪本人から舞台裏の心情をあらためて聞かされて「『野球の神様』って本当にいるんだな」と妙に納得した。
「晋太郎は『準備しろ』とは言われていなかった。それなのに『少しでも勝つための選択肢になれるのなら』と考えて壁当てを始めた、と。大阪桐蔭時代から変わらない献身性が報われたんだなと感じて、すごくうれしくなったんです」
実はこの日、右腕はアスレチックスの守護神トレバー・メイから貴重なきっかけも授かっていた。当初登板予定がなかったことで、練習中に「ピッチトンネル」について話し込む機会に恵まれたのだ。複数の球種を似た軌道から変化させ、打者の見極めを難しくする。メジャー主流の考え方は後に、藤浪の復調を力強く支えた。
「フジの中で今、一番使える球種は何?」
「ストレートとスプリット、カットボールかな」
「じゃあ多分、捕手のミットを真ん中高めに構えさせた方がいいと思うよ」
助言を素直に受け入れた頃から、大器の逆襲劇は一気にスピードアップした。
当時33歳だったメイからは同時に、精神面についても熱く説得された。
「俺はもうスピードだけでは抑えられないから、フジがうらやましい。なのに、フジはなぜ自分を信じないんだ? このチームで一番フジを信じていない選手はフジじゃないか?」
メンタルコーチにダルビッシュ有、そして同僚…。温かいサポートの数々にも助けられ、藤浪は徐々に心技体で自信を取り戻した。
5月下旬からは2段モーションにも近い新フォームを確立。無四球投球を続け、6月下旬から7月上旬には6戦連続無失点も記録した。手応えを胸に球宴ブレークに入った7月中旬、代理人のスコット・ボラス氏はすでに「運命の1日」に向け、水面下で動きを本格化させていた。【佐井陽介】(つづく)
◆服部優陽(はっとり・ゆうひ)1993年(平5)8月25日生まれ、埼玉・さいたま市出身。早大時代に東京ドームでボールボーイを経験したことでスポーツアナウンサーを志し、16年4月に関西テレビ入社。スポーツキャスターとして活躍し、17年に第33回FNSアナウンス大賞で新人奨励賞、22年には第38回同大賞でスポーツ実況部門を最年少受賞。23年4月1日から休職して渡米し、同年11月より復職。168センチ。





