9月からスタートした「野球の国から」の新シリーズ「平成野球史」。第3回はパ・リーグを、野球界を変えた男、新庄剛志氏(46)の登場です。引退後、初めてというスポーツ紙の取材に応じ、阪神、米大リーグ、日本ハム時代のエピソード、当時の考え、今の球界に思うことまで、新庄流に楽しくぶっちゃけます。【取材・構成=寺尾博和編集委員】

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新庄の顔は変わっていた。「おれ、整形したんですよ」「なぜ? 自分の顔に飽きたから」。そのやりとりが、久しぶりのあいさつ代わりだった。

日米通算17年間プレーして得た報酬は20億円を超えたが「信用していた人に全部使い込まれたんです」と、いきなり仰天エピソードを打ち明ける。

宇宙人、プリンス、破天荒…、この男を表現するのは難しい。だが、日本ハムを、パ・リーグを、野球界を変えたことだけは間違いなかった。

新庄 今はバリ島で暮らしています。彼女と。結婚? してない。朝起きて、海行って、朝食食べて、ドライブして、犬の散歩して、サウナ入って、また海行って、テレビの企画考えて…、そんな暮らしですね。

00年オフに阪神から米大リーグ・メッツにFA移籍する。イチローもポスティングシステムでマリナーズ入り。「記録はイチロー君、記憶はぼく」と言い放って「3年で日本に帰ってくる」と約束した男は、04年に電撃日本ハム入り。札幌に移転した年のサプライズだった。

新庄 最初に声をかけてくれたのは、(巨人監督の)原さんなんすよ。でも阪神から巨人には行けんやろと…。ボビー(メッツ、ロッテ監督)からもありました。阪神で育ててもらい、勇気を振り絞ってメジャーに行って、日本に帰ってプロ野球を盛り上げたかった。そのためにはパ・リーグ、そこがポイントですわ。北海道は巨人ファンばかり、弱い日本ハム、新天地…、よしっ面白い。おれ1人の力で、どんだけ変えられるかと思うと、うずうずしてきて、ソッコーでした。

登録名は「SHINJO」で、日本一から41年間も遠ざかった新天地で公約した「日本一」「札幌ドームを満員にする」を実現。「ムードをカエル」「球界をカエル」とカエルの着ぐるみを装着、スパイダーマン、ダース・ベイダー…、前例のないパフォーマンスで度肝を抜いた。

新庄 パ・リーグを背負っていくのは、おれ、おれしかいないと思った。ダルビッシュ? あのレベルじゃないでしょ、おれは。大谷? まだスーパースターじゃない。オーラを感じない。トークがまだまだ。メジャーでも、イチロー君に実力で勝てるわけないと思った。守備以外はね。でも、自分の判断(FA)で行ったのは、おれが初めてでしょ。今度は日本で、その盛り上がりを利用したかった。

日本にカムバックした04年には「球界再編問題」が起きた。「1リーグ構想」が露見し、パ・リーグ消滅の危機に陥った。2リーグ制を主張した選手会が史上初のスト決行。大混乱のなか7月11日オールスター戦(長野オリンピックスタジアム)でMVPを獲得した。頭から突っ込む球宴史上初のホームスチールで全国のファンを感動させた。

新庄 泥にまみれるヘッドスライディングなんて自分に一番似合わない。絶対MVPを取ろうと思った。ファンに向かって言いたいことがあったから。

試合後のインタビューで叫んだ。

「これからはメジャーでもない。セ・リーグでもない。パ・リーグです!」

混迷する球界の流れを変え、パ・リーグを救うセリフになった。

そして、06年の開幕後に「パフォーマンスがネタ枯れした」とヒーローインタビューで突然の引退表明。周囲をぼうぜんとさせる。新庄劇場のラストショーは日本一達成。「十分に楽しみましたもん」と言い残し、嵐のように球界を去っていった。

新庄 スターというのは、カンピューターなんです。おれみたいなことできるの、う~ん…、柳田君かな。野球界は曲がり角でしょ。おれが死んだ後も、野球はNO・1のスポーツであってほしいんよ。これからも、ちっちゃい頃、空き地で野球をしていた、新庄剛志のまま生きていきます。(敬称略=つづく)

◆新庄剛志(しんじょう・つよし)1972年(昭47)1月28日、福岡県生まれ。西日本短大付から89年ドラフト5位で阪神に入団。00年オフにFAでメッツ移籍。02年はジャイアンツで日本人初のワールドシリーズ出場。04年に日本へ復帰し、日本ハムに加入。日本ハム時代の登録名はSHINJO。06年に44年ぶり日本一に貢献して引退。ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞10度。現役時代は181センチ、76キロ。右投げ右打ち。