日本ハムでチーム統轄副本部長を務める岩本賢一(46)は、新庄のことを「さわやかな風のような人。頭もすごくいい。新庄さんの一番いいところは、すがすがしさです」と評する。

出会いは新庄のメッツ入団が決まった00年オフ。当時、メッツで唯一の日本人職員だった岩本が通訳を務めることになり、都内で初めて顔を合わせた。「阪神新庄」は派手で奔放なイメージ。岩本にとって苦手とするタイプだったが、面と向かうと想像は覆された。「自分だけで戦う雰囲気は出さない方で『僕も新しいチームで頑張っていくので、一緒にやっていこうよ』と。一緒に仲間に入れてくれるような優しさがありました」。その日から「ケン」と呼ばれるようになった。

新庄と過ごす日々から、真の姿を知った。渡米1年目はメジャーでプレーできる確約はなかった。結果を出さなければ生き残れない中でオープン戦では一時打率4割超えをマーク。開幕メジャーを勝ち取り、開幕戦では途中出場で一塁からタッチアップに成功。一気にチームメートの心をつかんだ。「よく言われていたのは『新庄が出来たら、他の人も出来るんだと思ってもらいたい』と。メジャーに行くこと自体がすごいことなのに『自分をそういう位置に置かないで、後の選手も挑戦しやすいような雰囲気をつくっていきたい』とも言っていました」。クラブハウスで最後まで練習する姿も、日常だった。

並外れた集中力と勝負強さでメジャーを認めさせる過程を見た。「ここ一番という時は、打席に入る時ってバッティング手袋をしていない。手袋すら邪魔になるらしいです。そのくらい集中力が高い」。01年はチームトップタイの勝利打点11をマーク。当時のエース、アル・ライターが岩本に「今年、新庄がいなかったらメッツは勝てなかった」とも言わせた。

新庄より1年早い03年から、ヒルマン元監督の通訳として岩本は日本ハムに入団。北海道に移転したばかりのチームでも、前向きで明るい新庄イズムを貫く姿も見た。「負けたら暗い雰囲気を引きずったりしましたけど、新庄さんは『ケン、それは違うんだ。終わってしまったことはしょうがないんだから、いくら深くそこに対して思い悩んでも何も解決しない。次に自分が何が出来るかを考えないと、もったいないよ』と。自分の喜怒哀楽、感情を周りに影響させなかった。今のチームの風土、雰囲気に間違いなく影響していると思います。だから、さわやかな風のような人です」。(敬称略=つづく)【木下大輔】

01年2月、バント練習でバットを持ったバレンタイン監督(左)から模範を見せられる新庄。右は岩本通訳
01年2月、バント練習でバットを持ったバレンタイン監督(左)から模範を見せられる新庄。右は岩本通訳