日本ハムで事業統轄本部コミュニティリレーション部ディレクターを務める荒井修光(45)は12年前、新庄の専属広報だった。06年4月18日、東京ドーム。新庄がオリックス戦の2回に2号ソロを放った。報道陣向けへ送るメールの文面には「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニホームを脱ぎます打法」と、あった。しばらく、送信ボタンを押せずにいた。

06年限りで新庄が現役引退を決意したのを最初に悟ったのが荒井だ。04年の入団時から専属広報を務め、新庄からは「ノブ」と呼ばれた。グラウンド内外で、それこそ家族以上に一緒の時間を過ごしたからこそ、ちょっとした異変にも気づいた。「あの年の名護キャンプが終わりかけの時に『僕、何かが今年違うと思っているんですよね』と言ったら『そう感じる?』と。キャンプが終わって3月初旬に新庄さんから『オレ、プロ野球何年やったっけ?』ってメールが来て、答えて返ってきたメールが、あの打法だった」。新庄からは「男の約束だ」と言われ、2人だけの秘密となった。

06年シーズン開幕直後、新庄は調子が悪かった。打率1割台の4月中旬、2人だけでの移動中に打ち明けられた。「オレ、次ホームラン打ったら、それ出すから」。「それ」はもちろん引退打法の公表だ。直後の福岡ドームで新庄は左翼フェンス直撃の二塁打。荒井の胸騒ぎは次の試合地、東京ドームへ移動すると止まらなくなった。

「ちょうど試合の前夜に新庄さんがホームランを打っちゃった夢を見たんですよね。東京ドームに向かう通路で、その話をしたら『ノブ、もう諦めろ。オレたぶん今日打つから。打ったら会見とか大変だと思うけど、それ頼むな』と」

試合が始まると、新庄は宣言通りにアーチをかけた。荒井がベンチに戻った新庄を見ると、アイコンタクトで「行け」の合図。メールを送信しようとしたが、手が止まった。

「まだ誰にも新庄さんが辞めると言っていない。これ(送信ボタン)を僕が押して周りが騒然となったらと考えた時に今はダメだと。その時に初めて、当時の高田GMに伝えました。高田GMも『何? そうなのか』と驚いて。でも『アイツに何を言っても曲げないだろう』と納得してくれて、そこから関係各所に話をして、約40分後にメールの送信ボタンを押しました」

直後から荒井の携帯電話は鳴りやまなかった。「僕と新庄さんしか本当に知らなかった。大変でしたけど、僕はファイターズで現役を終えてもらいたかったので、これで良かった」。(敬称略=つづく)【木下大輔】

本塁打を放った新庄はライトスタンドに向かって深々と頭を下げた
本塁打を放った新庄はライトスタンドに向かって深々と頭を下げた
04年2月、日本ハムの春季キャンプで荒井広報(右)に付き添われて球場入りする新庄
04年2月、日本ハムの春季キャンプで荒井広報(右)に付き添われて球場入りする新庄