2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

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七夕の夜にまたしても衝撃的なニュースが列島を駆け巡った。2004年(平16)7月7日。プロ野球のオーナー会議が行われた。そこで西武オーナーの堤義明(当時)が、近鉄とオリックスに続く「もう1つの合併が進行中」と明らかにした。

新たな合併球団はロッテとダイエーのはずだった。だが、堤はパ・リーグ4球団名を挙げただけで合併球団は明言しなかった。

この時、オーナー陣が描いていた球界再編の「絵図」はほころび始めていたのも事実だった。ダイエー球団の徹底した「反抗」である。ダイエーのオーナー中内正は、ロッテのオーナー代行重光昭夫(ともに当時)と、都内で密会していた。中内自身は合併やむなしの姿勢であったが、ダイエー本社サイドは頑として合併案を受け入れることはなかった。「もう1つの合併」発言後、ロッテ球団代表の瀬戸山隆三(当時)の元に1本の電話があった。ダイエー本社社長の高木邦夫からだった。瀬戸山にとってはダイエー時代の上司でもあった。

瀬戸山 高木さんから「(ホークスの)球団は絶対に売らんからな。死んでも売らん。何がどうなろうがロッテと一緒になることは100%ない。それだけは覚えといてほしい」と言われた。この電話のことは(ロッテのオーナー代行)昭夫さんには伝えていない。

近鉄以上に経営難に苦しむダイエーを合併対象としたが、抵抗が大きすぎた。そこでオーナー陣は「組み合わせ」の変更を余儀なくされた。堤発言から間もなく、ロッテ球団社長の浜本英輔と瀬戸山は、西武ライオンズの親会社であった国土計画本社に足を運んだ。国土計画の役員との面会のためだった。その役員は堤からのメッセージを伝えた。

「ダイエーはちょっと厳しいのでウチと一緒になりましょう-」

ロッテと西武。堤のメッセージを端緒に新たな組み合わせとなった2球団は、合併に向けた具体的な話し合いに進もうとした。だが、結果的に堤の案に、ロッテのオーナー重光武雄は首を縦に振ることはなかった。

ロッテにしてみれば、ダイエーとの合併は球団のみならず、本業との相乗効果の期待もあったはず。ロッテグループが保有する韓国プロ野球のロッテジャイアンツは、韓国・釜山が本拠地であり、ホテル業など多角的な経営を進めるロッテグループからすれば、釜山から目と鼻の先にある福岡はビジネスの利点も大きかったはずだ。だが、西武ではそれが、ない。結果的に「もう1つの合併」は完全に暗礁に乗り上げてしまった。

合併による球団削減、そして1リーグ制への移行…。パ・リーグを中心とし、巨人オーナー渡辺恒雄(当時)ら球界の「経営者」たちが描いた球界再建策は、2つ目の合併が不発に終わったことで完全に頓挫した。巨人戦の放送権料を当て込んだ、あまりにも拙速で安易すぎる再編の「絵図」だった。(敬称略=つづく)【佐竹英治】

ロッテ球団代表の瀬戸山隆三氏(当時)
ロッテ球団代表の瀬戸山隆三氏(当時)