「チーム星野」が、春の甲子園で再会した。全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える今年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。シリーズ3は「2018春」と題し、第90回選抜高校野球大会出場校の話題や歴史などのドラマに迫ります。日大山形・西島好亮内野手(2年)、智弁学園(奈良)坂下翔馬内野手(2年)、大阪桐蔭・森本昂佑投手(3年=13年代表)の3人は、1月に70歳で死去した星野仙一氏が支援した12歳以下日本代表の元メンバー。14年日本代表の西島と坂下は大会第3日の初戦で対戦する。

笑顔で肩を組む、左から日大山形・西島、智弁学園・坂下、大阪桐蔭・森本(撮影・前田充)
笑顔で肩を組む、左から日大山形・西島、智弁学園・坂下、大阪桐蔭・森本(撮影・前田充)

 肌寒さが残る甲子園に、雲の隙間から青空が広がった。午前9時開始の開会式。日差しを浴びた外野の芝生が鮮やかな緑に映える。日大山形・西島は腕を振って行進し、智弁学園・坂下は「気持ち良かったです」と笑った。高校球児の誰もが目指す場所で、「チーム星野」の2人は4年ぶりに同じグラウンドに立った。

 「チーム星野」は、星野氏が07年から支援を続ける12歳以下のボーイズリーグ日本代表。毎年8月に米国で行われる「カル・リプケン12歳以下世界少年野球大会」に出場し、西島と坂下は14年に準優勝に輝いた。大会参加のきっかけは、星野氏が仕事で米国を訪れた06年、大リーグで2632試合連続出場を誇るカル・リプケン氏(元オリオールズ)主催の世界大会に日本チームが出てないことを目の当たりにしたことだった。

 「日本の野球チームが参加していない世界大会なんてあったらアカン」

 「子どもたちに夢を与えろ。公平に選んでいろんな子を行かせてやれ」

 「金は全部オレが面倒を見る」

 明大の後輩、関谷俊郎氏(現明大中野キャンパス事務部長)が団長になって、昨年まで11年連続で参加。1回の遠征にかかる費用は約1000万円だが、15人の選手やスタッフに金銭面の負担はない。野球人口の拡大、アマチュア野球の発展は星野氏が強く願い続けたテーマだった。西島は「決勝で負けたことが悔しくて、もう1度日本代表になってプレーする次の夢が生まれました。日本にも海外にもすごい選手がいると、てんぐの鼻を折っていただいた貴重な場所」と感謝する。

 米国では英文の朗読を行い、約2週間ホームステイで生活する。野球以外でも各国の選手と交流することが星野氏の願いでもあった。12歳で濃密な夏を経験した仙台市出身の西島は、雪深い山形のアパートで1人暮らしをしながら、甲子園出場を目指した。奈良出身の坂下は「地元で、レベルの高い学校で甲子園に行きたかった」と智弁学園に進学。全国に散らばった「チーム星野」が、甲子園で再会し、25日の初戦で対戦する縁が生まれた。

14年、渡米前に星野氏(後列中央)のもとを訪れた坂下(前列右から2人目)西島(後列左から4番目)ら(家族提供)
14年、渡米前に星野氏(後列中央)のもとを訪れた坂下(前列右から2人目)西島(後列左から4番目)ら(家族提供)

 山形の下宿先で父佐知浩さんから訃報を聞いた西島は言葉を失ったという。米国に出発する前には球場であいさつして激励を受けた。「お互いが成長した姿を星野さんに見せたい。まさか初戦で当たるとは思わなかった。星野マジックですかね」。坂下はグラブに「死力全力」を刺しゅう。「星野さんから学んだ1つ。思い切った守備や走塁を見てほしかった」と言った。

 1学年上の世代で米国遠征した大阪桐蔭・森本は「星野さんから学んだことは、野球ができることに感謝して、野球を通じた出会いを大切にすることです」。大舞台で活躍することこそが恩返し。90回目の特別な春に、それぞれの強い思いを持って挑んでいく。【鎌田直秀、前田祐輔】