「今季限りでユニホームを脱ぐことに決めたので連絡させてもらいます」

岩田稔投手からそう言って電話をもらったのは9月29日。そして10月1日、涙の記者会見で引退を正式発表しました。

阪神の一時期を支えた左腕には個人的な思い入れもありました。母校・関大出身でいまや唯一のプロ選手であること、さらに実家が私の親類の“ご近所さん”だったことなどです。親類宅の愛犬の名前まで岩田投手は知っていました。

誇らしく思ったのは岩田投手が09年の「第2回WBC」のメンバーに選出されたことです。阪神からは藤川球児氏と投手2人の参加でした。

日刊スポーツに限らず、スポーツ紙の大阪本社で野球記者をしていれば「阪神タイガース」は切っても切れない存在。現在も阪神コラムを連日、書かせてもらっています。

それと同時に幸運にもイチロー選手擁するオリックスが果たした90年代のリーグ連覇を取材する機会に恵まれました。そんなこともあってイチロー氏とは顔を合わせれば普通に話をする関係になりました。

取材対象として大きな存在の「阪神」と「イチロー氏」でしたが、両者の印象はまるで違います。

イチロー氏が所属した当時のオリックス・ブルーウェーブの本拠地は神戸。阪神甲子園球場がある西宮市とは“おとなりさん”。しかし阪急ブレーブスの流れを組んだ“青波”ファンの気質は虎党とは少し違いました。

実際、両球団、関係者を取材していてもイチロー氏が阪神でプレーする様子などはまったく想像もできませんでした。読者の方、特に関西の方々はなんとなくイメージできると思いますが阪神とイチロー氏というのは“近くて、とても遠い存在”なのです。

そんな思いがあるからか、イチロー氏が中心の09年WBC日本代表メンバーに岩田投手が選ばれたときは妙にうれしかった。そして見事に優勝を果たした試合後のことです。

岩田投手とイチロー氏は宿舎ホテルのエレベーターで偶然、2人切りで乗り合わせたといいます。

「ボクはあまり優勝経験がないので。めちゃくちゃうれしいです」。興奮気味にそういう岩田投手にイチロー氏も「そうか-。それはよかったやん!」と笑顔で応じたそうです。

こちらは何の関係もありませんがよく取材した2人が異国の地で強敵を相手に戦い、結果を出した後、エレベーターでホッとした会話をする。想像するだけで楽しくなったものです。

イチロー氏が愛したオリックスは近鉄との合併球団として形を変え、もう16年ですが中嶋監督も当時から知る存在。それが今、堂々の首位争いを繰り広げています。優勝となれば日本一に輝いた96年以来です。

そして阪神も懸命に踏ん張っています。関西球界は本当に熱い。そんな中、岩田投手の引退は寂しい話題ですが12年前の“エレベーターの会話”を想像して、ほっこりするのです。

【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「高原のねごと」)

12年3月、マリナーズ・イチローと対戦する阪神岩田
12年3月、マリナーズ・イチローと対戦する阪神岩田