ロッテが交渉権を獲得した「令和の怪物」佐々木朗希投手。大船渡から羽ばたき、真の親孝行が始まる。

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運命の朝も、背筋を伸ばして遺影に思いをはせたのだろうか。

仲良し夫婦の間に、次男として生まれた佐々木朗希。「男の子は背が高い方が何かと有利かな、と思って」。夜9時には部屋を暗くした母陽子さんの狙い通り、3兄弟はよく寝て、よく育った。保育園に夫婦で子どもを迎えに行っていた姿も当時、よく目撃されている。いつか故郷を巣立つ日まで、ずっと続くはずの幸せがあった。

父功太さん(享年37)が犠牲になった東日本大震災から、来年3月で9年になる。故郷・陸前高田の再建も少しずつ進んでいる。4月に163キロを出した直後、大きくなった朗希が母子で久しぶりに訪ねてきてくれた。「朗希は功太に似てきたよ、本当に。顔つきも、話し方も、ちょっとしたしぐさも、本当にそっくりだよ」。震災前、佐々木家の近所に住んでいた友人の長田正広さん(54)は感慨深そうに振り返る。

ご近所同士、いつも助け合った。よく飲んだ。自慢の鍋料理を佐々木家に差し入れしたら、代わりに新鮮な魚介類を功太さんが運んでくれた。年に1回、町内有志で出かけたスノーボード旅行も懐かしい。印象的な出来事がある。「功太のやつ、いきなり禁煙し始めたんだ」。

功太さんは、旅行資金をためたかった。愛する3兄弟を、千葉・浦安にある東京ディズニーリゾートに連れて行きたかった。

2010年の暮れ、白い息をはきながら家族5人で訪れた「夢の国」のことは忘れない。働き者で、誰からも愛された功太さん。夜になって園内がライトアップされても疲れた様子を見せず、妻子を喜ばせ続けた。わずか3カ月後に、悲劇が待っているとは知らず-。その時の功太さんの笑顔は今も、陽子さんのスマートフォンに大切に残されている。

「功太は本当にいいやつだった。兄貴、兄貴、っていつも弟みたいに来てくれて。本当に惜しいやつを亡くした。だからさ、朗希を見ると、なんだか泣きそうになっちゃうんだよ…」。そう言い、長田さんは本当に泣きそうになった。

3兄弟で肩を寄せ合って両親の助けを待った、あの凍えそうな夜から、朝日は3142回、リアスの海から昇った。今は孤独じゃない。運命の瞬間を迎えるとき、目の前にはともに野球を頑張ってきた仲間がいてくれた。「決して楽な道のりじゃなかった。でも、たくさんの支えがあって成長できたと思います」。仲間たちの前で、かみしめるように語った。

大好きな両親が懸命に働いて連れて行ってくれた千葉への導きは、運命とも思える。くじ引きの瞬間、陽子さんは両手を組み、目をつぶった。77歳になる祖父も会見場に来てくれた。家族への思いを問われた朗希は「たくさん迷惑かけてしまったんですけど、しっかりその分は恩返ししていきたいと思っています」と丁寧に口にした。

息子の声を聞きながら、陽子さんは目をどんどん潤ませ、力を入れて口元を真一文字に閉じる。夏にグラウンドで涙をこらえていた朗希にそっくりだ。頑張り続けてきた家族の1つのゴールとスタート。父は三陸の星空から笑って眺めている。【金子真仁】

ロッテが1位で交渉権を獲得し、大船渡のチームメートから胴上げされる佐々木(撮影・浅見桂子)
ロッテが1位で交渉権を獲得し、大船渡のチームメートから胴上げされる佐々木(撮影・浅見桂子)