公立校が春の全道覇者を撃破した。札幌地区で石狩翔陽が今年の春季全道大会で初優勝した札幌大谷を4-3で下し、27年ぶりの南北海道大会進出に王手をかけた。3-3の同点で迎えた9回1死二塁、代打最上元太(2年)の勝ち越し適時打で決勝点をもぎとった。先発したエース中多涼介(3年)が5回以降、強力打線を無失点に抑えて踏ん張った。

 校歌を歌う石狩翔陽ナインの目には涙がにじんでいた。泣きっぷりは萬年史章監督(41)が「負けたチームみたいでした」と笑うほど。完投したエース中多は「言葉が出ない。信じられない。みんなが泣いていたので大号泣」と照れた。春の全道NO・1チームからの勝利を全員が信じて臨んだ。だが、達成感は想像以上だった。

 試合を決した最終回。4番に座る中多が9回、先頭安打で出塁し、犠打で二塁へ進むと、大会前まで4番を任されていたが、不調でスタメンを外れていた最上が代打で送られた。思わず代打を告げ忘れそうになるほど集中して立った打席で「経験を出せば、(安打は)出る」と、初球を思いっきり振り抜き、右翼へ運んで4点目を奪った。その直前の8回、マウンドの中多が1死三塁のピンチを迎えたが、2者連続三振で乗り切って迎えた攻撃だった。流れは完全に引き寄せていた。

 1年前のリベンジを果たした。昨夏も札幌大谷と2回戦で対戦。2-12の6回コールド負けを喫していた相手だった。先発していたのはこの日と同じ中多。春の全道1回戦から決勝までの全4試合で2ケタ安打を放つ強力打線相手に被安打8。連打は許さず要所を締め「延長になってもいいと思っていた」と、5回以降はスコアボードに0を並べ続け、1年分の成長を見せつけた。

 目標の南北海道大会は、校名変更前の石狩時代、89年に出場して以来遠のく。代表決定戦進出さえ同年以来、果たせなかったが、01年に現校名となってからは初めて駒を進め、殻を破った。「今日みたいに思い切って全力でやるだけ」と背番号1。最上は「全道優勝したチームを倒した自信を持って、自分たちの野球をするだけ」と、闘志を燃やす。さらなる快進撃で羽ばたいていく。【保坂果那】

 ◆石狩翔陽と道大会 夏の南北海道大会は過去、86、89年の2度出場。春は89年の1度、秋の道大会は84、86、87年に3度出場している。すべて前校名の石狩時代で、01年の現校名変更後は3季通じて道大会進出はない。