みちのく初の本格的な女性監督、宮城・涌谷の阿部奈央監督(25)がチームを率いて初めての夏を迎える。犠打を使ったスモールベースボールに手応えをつかみ、公式戦初勝利を狙う。

 奈央先生と涌谷の選手11人は今、16日の仙台高専(名取)との初戦(2回戦)に向け、静かに闘志を燃やしながら調整を続けている。

 阿部監督 上り調子できている。今持っている力を引き出すことに徹したい。夏は1勝しなきゃ。

 4月、前監督の異動により部長から監督に肩書が変わった。女性監督が公式戦で采配を振ったのは、東北各県の高野連関係者も記憶にないといい、東北初とされる。全国的にも珍しい。

 阿部監督 注目されるプレッシャーはあるんですけど、何も言わなくても選手が準備してメニューを考えたりしてくれて。

 今春の東部地区予選は2試合とも敗れた。

 阿部監督 失敗できないというか、完璧にやらなきゃという思いがあって。広い視野で考えることができなかった。自分のためだけにやっていた。

 練習試合などの後、采配に選手が注文をつける。2死から足の速い選手が出塁して、仕掛けないシーンがあったという。

 大森優輝主将(3年) ヒットエンドランじゃないかと。自分たちは走力のあるチーム。足で点を取った方がいい。

 反抗ではない。キャリアの浅い監督を助けたい一心からだ。阿部監督も素直に受け入れる。選手も勝つためにはと、真剣に考えた。

 春を終えて戦術に変化が表れた。横山将部長(30)の助言もあり、バントを効果的に使うようになった。

 阿部監督 野球は確率のスポーツでもあると言われ、筋道を立ててですね。高校野球をやるからには、そういう意見も必要だと。

 大森主将 それまで2日に1度だったけど、今は毎日バント練習をしている。

 春の東北大会に出場した大船渡東(岩手)と、2日にダブルヘッダーの練習試合を行った。3-6で敗れた第1試合。無死一塁から犠打で走者が二塁へ進塁し、その直後にタイムリー安打が飛び出した。1つの得点パターンが生まれた。

 阿部監督 きれいな点の取り方ができた。意外と出来るなって(笑い)。春より進歩している。

 苦手だったノック時のキャッチャーフライは、2球に1回は決まるようになった。選手と同じように進歩する。ナインはもちろん、校内の生徒からも「奈央先生」と呼ばれて慕われる。

 県内外から注目される初戦。勝っても負けても涙を流すのだろうか? 

 阿部監督 多分、涙は出ますね。映画で感動しても泣かないのに。思い入れは強いのかな。一生忘れない子たちですから。

 涙の数だけ強くなれる。【取材、構成=久野朗】

 ◆阿部奈央(あべ・なお)1991年(平3)11月22日、宮城県石巻市生まれ。山下小では水泳、石巻中ではソフトボールの投手。進学した石巻高にソフトボール部がなかったため、硬式野球部に入部して1年生まで男子部員と一緒にプレー。練習試合は二塁手で出場経験がある。2年生からマネジャーに専任。東京女体育大では2年生まで軟式野球の投手。卒業後2年間、母校・石巻高の体育講師、昨年4月に涌谷の体育教諭として赴任。1年間、硬式野球部の部長を務めた。同居する父輝昭さん(56)は石巻北の監督。家族は両親と妹。165センチ。

 ◆涌谷 1919年(大8)涌谷実科高等女学校として創立。21年に県立移管。48年の学制改定により現校名、50年の学則により共学化し、硬式野球部も創部。夏の宮城大会は62年の準決勝進出が最高成績。ハンドボール部は全国レベル。所在地は宮城県遠田郡涌谷町涌谷字八方谷三1。樋野伸治校長。