8年ぶり11度目出場の青森山田が、背番号10の先発右腕斉藤勇太(3年)の公式戦初完投で08年以来9年ぶりの勝利を手にした。斉藤勇は10安打を浴びながら2失点に抑え、彦根東(滋賀)を下し初戦を突破した。地元チームとの対戦で、観衆はこの日最多4万7000人を記録。相手応援席が真っ赤に染まる、強烈な「アウェー」での戦いだった。さらに、49番目となるしんがりの登場は、日程面で不利な状況をはね返しての勝利だった。3回戦は東海大菅生(西東京)と対戦する。

 マウンドを独占した。青森大会5試合すべてが継投の青森山田に、勝利を呼び込んだ。これまで8回が自己最長だった右横手投げの斉藤勇が、甲子園で9回を投げ切った。「初めての公式戦完投。大きな自信になりました。小さいころから憧れていたマウンドだったので」と声を弾ませた。兜森崇朗監督(38)は感無量だ。「特別、感動しました」。

 7月27日の青森大会決勝から17日も間隔が空いた。彦根東は1回戦をサヨナラで勝ち上がり、1試合の経験と勢いがあった。さらに、地元の大応援で、スタンドが真っ赤に染まるアウェーの洗礼。青森山田が背負った初戦のハンディ。実際、49代表制となった78年以降、しんがり登場校は昨年まで10勝29敗1分けと大きく負け越していた。だからこそ、斉藤勇は立ち上がりから神経を研ぎ澄ませた。「序盤の3回をしっかり抑えようという目標があった」。

 言葉通り、3回まで点を与えず波に乗った。自己最速を2キロ更新する142キロの速球にスライダー、時折シンカー気味に落ちるシュートが効いた。満塁のピンチを断った7回まで無失点。計5安打を浴びて1点ずつ奪われた8、9回は踏ん張った。初戦までの長い期間は「シート打撃に登板して調整していた」と、実戦勘を磨いていた。

 弘前学院聖愛中では同校のシニアチームに所属。3年の秋、県選抜に選ばれて指導を受けたのが当時、青森山田リトルシニアを率いていた兜森監督だった。斉藤勇は「フォームなど熱心に教えてくれた」と懐かしみ、そのありがたみが忘れられなかった。強豪・弘前学院聖愛高には進学せず、地元・弘前市を離れて青森市にやって来た。入学した15年8月、同監督が新たに青森山田を指揮することが決定。運命的だった。

 昨春のセンバツでは初戦敗退した兜森監督に、甲子園1勝を完投で恩返しした。「最後まで投げ切る気持ちでした」と本音を明かした。先発した9人全員が青森出身。兜森監督が「青森弁が増えた」と笑った甲子園で、背番号10がヒーローになった。【久野朗】