99年夏の甲子園に出場した盛岡中央(岩手)の野球部新監督に、PL学園(大阪)で甲子園に出場した奥玉真大氏(44)の就任が21日、明らかになった。

宮城・気仙沼市出身で、PL学園ではロッテ今岡真訪2軍監督(44)と同期。内野手で92年のセンバツに出場し、東北学院大から社会人のヨークベニマル、サンワード貿易でプレーした。引退後は12年から約5年間、富士大(北東北)でコーチ、助監督を務めた。自主性を尊重しながら的確なアドバイスで山川穂高内野手(27)、外崎修汰内野手(26)、多和田真三郎投手(25)の西武トリオ、阪神小野泰己投手(24)らを育て、今年も楽天鈴木翔天投手(22)、西武佐藤龍世内野手(22)がプロ入りした。4月1日から指導をスタートさせる。

奥玉氏は11年の東日本大震災で、営んでいた酒店と自宅を流された。昨年は後腹膜脂肪肉腫という悪性腫瘍の大病を患うも、1年近くにわたる闘病生活を経て回復。「野球を通じて学んだ自分に負けない気持ちも大きかった」。度重なる苦難を乗り越えた不屈の指導者に、復活を目指す盛岡中央から白羽の矢が立った。99年夏に初出場。その後は楽天銀次内野手(30)らを輩出するも、甲子園からは遠ざかる。昨春の県大会では、ドラフトの目玉に挙がる佐々木朗希投手(2年)擁する大船渡に3-2で勝利するなど、県3位と躍進。東北大会でも八戸学院光星(青森)に4-7と善戦するなど、20年ぶりの甲子園に向け機運が高まっていた。

指導者として最も大切にしているのが、PL学園の部訓でもあった「球道即人道」だ。「震災と病気で2回死んでも不思議じゃなかったのに、多くの方々からの優しさ、思いやりをもらい生きることができた。監督として、まずは野球を通じて世のため、人のためになるような人材を育てたい。結果としての目標は、東北としてまだ成し遂げていない日本一です」と強い決意を口にした。

◆奥玉真大(おくたま・まさひろ)1974年(昭49)8月21日生まれ、宮城県気仙沼市出身。南気仙沼小1年から気仙沼リーグの「南ボーイズ」で野球を始める。黄金時代のPL学園に憧れ、気仙沼中1年の11月にPL学園中に編入。付属中からは1人だけ高校での入部が認められた。1学年下の松井稼頭央(西武2軍監督)が付き人。92年のセンバツ1回戦・四日市工(三重)戦に代打で二塁打。東北学院大では1年からレギュラーも東北福祉大の前に8季連続2位。社会人でプレー後、気仙沼で実家の酒販店「奥玉屋」を引き継ぐ。東日本大震災で被災し、12年から富士大でコーチ、助監督を務め、17年7月に退任。家族は夫人と1男2女。